考えるテーブル

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3.11キヲクのキロク

3.11 キヲクのキロク 公開サロン 第15回

■日時:2016 年 3 月 12 日(土)12:30-14:30
■会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■参加無料、申込不要、直接会場へ

≪テーマ≫

前半「3.11以前の記録から3.11以後を考える」
3.11を境に「まちと人の記憶」は、過去と分断されたままの状態にありますが、3.11以前のまちには人が連綿と続く営みとそこに暮らす理由がありました。その事実を改めて探り記録することは、被災地で暮らし続けることの本質的な意味を見出すことになるのかもしれません。
「考えるテーブル」では、震災前の記録に着目し、作品づくりや活動する当事者を招き、その意味と可能性を探ります。

≪トークゲスト≫
我妻 和樹、高森 順子
≪ファシリテーター≫
工藤寛之

後半「3月12日はじまりのごはん」
「3月12日はじまりのごはん」は、市民が震災後に撮影した、炊き出し、買い物風景などの写真を見て思い出したことを、ふせん紙に書いてもらうイベントで2014年初開催しました。
そして、本公開サロンは、生活に欠かせることのできない「食」を通じ、あの時の記憶の引き出しを開け、他者の経験にも耳を傾けながら想いを重ねる場でもあります。

 

≪「3.11 キヲクのキロク」アーカイブ・プロジェクトとは≫
東日本大震災で被災した地域の直後の様子、そしてその後の復旧・復興のあゆみを後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これらの活動の成果や記録を利活用し、情報共有する場として、『考えるテーブル』の中で公開サロンを定期的に行っています。

■主催:NPO法人20世紀アーカイブ仙台、3がつ11にちをわすれないためにセンター(せんだいメディアテーク)
■助成:一般財団法人 地域創造
■問合せ:NPO法人20世紀アーカイブ仙台
tel 022-387-0656
URL: http://www.20thcas.or.jp/

これまでの公開サロンについては、3がつ11にちをわすれないためにセンターのウェブサイトをご覧ください。3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト(3がつ11にちをわすれないためにセンター内)
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3.11 キヲクのキロク 公開サロン 第15回レポート

前半「3.11以前の記録から3.11以後を考える」


工藤:東日本大震災から5年。昨日は新聞やテレビなどで震災に関する情報が溢れていた。そこでは「ゼロからのスタート」「壊滅した町からの5年間」などと言われ、震災時からの姿しか報道されていない。しかし、5年より前から営みがそこにあったからこそ、今回甚大な被害になった。震災に遭ったとしても、そこにまだ暮らし続けていこうという人がいる。その理由を知るには、震災の前をしっかりと知っておく必要がある。そこに、これからの復興に向けての可能性があるのではないか。今日はそのあたりを話していきたい。

我妻:映画『波伝谷に生きる人びと』を作ったきっかけ。大学時代、授業の一環で、南三陸の波伝谷と出会い、3年間現地に通い、地域の暮らしを徹底的に調べて、フィールドワークとして研究をしていた。卒業後も通い続けた理由は、地域の結びつきが強い一方、しがらみや煩わしさも含めて、ここで生きること、土地で連綿と続けられてきた暮らしを続けて、いまを生きる地域の人たちを徹底的に見つめることで、地域って何だろう、コミュニティって何だろう、普段見えているようで見えていない「底」が深く広がっている、そこを見ていきたい、という思いで撮影をはじめたのがきっかけとなっている。もともとは震災前から撮影している作品で、震災があってもなくても変わりなく、時代の変化という波にさらされながらもその地方で生きている人々の普遍的な姿を伝えたい。津波がなかったとしても消えていく文化や変わっていく暮らしというのは、日本中どこにでもあるわけで、その中で悩みながらもその土地で生きている人たちのごく普通の生活を、しっかりと描きたかった。そこに図らずも震災が起こってしまったが、震災があったからといって過去を美化するのではなく、生々しさ、光と影の両方を含めて、被災する前はどういう人の営みがあったのか、しっかりと丁寧に記憶に留めたかった。

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工藤:もともとそこにあるコミュニティのありのままの姿を記録をしていく、そこに意義を見いだして地域と向かい合っていたら、宿命的に震災がついてきた。だからこそ、何がこの震災で失われたのか、がよくわかる映画だと思う。対照的に、震災からスタートしている高森さんの活動の中で、「震災前の暮らし」を垣間見れたことはあったのか。

高森:阪神淡路大震災の手記集が震災の3カ月目から10年目までの全10巻出されていた。そして昨年、震災から20年を機に、ずっと震災の手記を書いてくれた方にもう一度依頼し、10年ぶりに手記集を発刊した。その中でも印象的なものとして、例をあげたい。

震災でご主人を亡くされた方。震災から3カ月目に書かれた手記の中では、どういった状況でご主人が亡くなったかということをつぶさに書かれていて、最後は神戸の復興を願うという言葉で締めくくられている。それから1年後、2年後、3年後になると「神戸」という言葉も出なくなり、生活ぶりも分からない。では何が書かれているかというと、「今日も寝ている間に旦那がやってきて、こんな会話をしていました」など、ご主人との会話のやりとりがずっと書かれていく。これを考えたとき、震災前のご主人との関係性を知るという意味で、重要なヒントとなる言葉なのではないか。彼女とご主人がどういう会話をしていたのかは、私はあの頃に戻って知ることはできないが、手記集に書かれたそのやりとりから、震災前は、家庭内でこういった会話が普通になされていたのだろう、と、2人がどういう信頼関係でやってきたのか伺い知れる。ひいては、こういう経験をしてこういう関係性を築いてきた2人が震災に遭ったんだ。震災は、つつがない日常が断絶することなんだ、というあたりまえのことをわかることにつながっている。

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工藤:震災前のまちの姿に出会うということが、多様な感想や感覚、見方を生みつつあると思う。佐藤さんは、さまざまな活動の中のひとつとして、震災前の写真の収集や展示をされているが、そのあたりは。

佐藤:震災に遭ったことで、震災前の写真の持つ役割が大きく変わったと感じる。毎日ごく普通に過ごしてきた日常が3.11で切れてしまった。あたりまえに明日も来るが、もう昨日より前には戻れないのだ、ということをみんなが知った。そこで歯がみしているところを、震災前のまちの写真を見ることによって、そこに重ね合わせた「自分の思い出」を語ることができる。写真はただの写真ではない、想起させる重要な装置であると考える。

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工藤:地域を撮っていたものが震災の証になる。震災から始めたものの中に過去の証が潜んでいて、それを取り出すことが大切である。新しくにじみ出てきたものを今後の復興でどう活かされるかを一緒に考える必要がある。

佐藤:「被災地」と一括りに言っても、仙台・石巻・気仙沼・神戸は全て違う。先を見るためには、その町の成り立ちや特徴など過去を見てみないと分からない。ノスタルジーではなく、将来を知るために必要なことである。

我妻:波伝谷には獅子舞という大切にされている行事がある。これは、観光として外部の人に見せたいという気持ちがあってやっているわけではなく、あくまで地域の中で、自分たちの生活の中で必要だからやっていること。被災後、比較的早い段階で祭りは復活させた。これは「ここで生きていく」という強い意思表示として機能していると思う。

工藤:「そこに人がいる限り、営みは続く」と上映会で毎回言われていたのが印象的に思っている。営みの形というのは重要で、新しいものばかりを求められるが、「過去あったものを取り戻す」ことになるのか。

我妻:波伝谷は80世帯のうち40世帯が元に戻るようだが、地域の人々も悩みながらも「過去の町らしい形」で復興していくように感じる。

佐藤:3月11日に日常は断絶してしまったが、生活や記憶はそのままつながっている。それをつなぐための活動がこれから重要になってくる。過去を見つめることでその町らしいものを集め、まちづくり・コミュニティづくりができれば、やさしい復興ができるのではないか。

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後半「3月12日はじまりのごはん」


わたしたちは、非体験者に、震災体験を伝えるにはどうすればいいか。ということをテーマに、今まで「3.11 キヲクのキロク 公開サロン」を開催しています。震災時の写真、その定点観測写真、体験談などを集めるだけではなく、集めた写真はどう使えばいいのか。使うのは体験者なのか非体験者なのか。使うのは今なのか将来なのか。そして3.11の何を後世に伝えなければいけないのか。その答えのひとつとしてはじまったのが、「3月12日はじまりのごはん」です。

定点撮影することで、将来使いやすい復興の記録となるのではないか。もうひとつは、被災の記録だけではなく、非日常が日常となった生活で感じたことを全て記録しておくことで、非体験者が見ても「被災時の生活」をイメージしやすいものとすること。これが「3月12日はじまりのごはん」のポイントとなっています。

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「3月12日はじまりのごはん―いつ、どこで、なにたべた?―」をテーマとする公開サロン。今回も、写真をご提供いただいたゲストの方にご来場いただき、当時のことについてお話しいただきました。

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写真1(佐藤寛法さん)

3月12日「七輪と鍋で炊いたご飯」。まずは、七輪と鍋でご飯が炊けることに驚いたそうです。洗わなくてもまた使えるようにと茶碗にはラップをしいて使い、阪神淡路大震災の教訓として聞いていたことが役に立ったそうです。

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写真2(篠原治樹さん)

「個人商店」、ドラッグストアの店内の写真。生活用品が一部残る中、食品はお菓子も含めて全く残っていなかったため、お客さんが肩を落として帰っていく姿が印象に残っているそうです。

2011年3月11日震災当日の夜イ?ンスタントラーメンを?作り始める母
写真3(笹崎久美子さん)

「震災の当日。地震の片付けをしていた母が、急に『腹が減っては戦はできない!』といって台所に立った。ガス漏れの心配があったので自分はガスを

使いたくないと思っていたのに、母は気にせずにインスタントラーメンを作り始めた。プロパンガスだったため幸い異常もなく、できあがったラーメンを家族で食べたのが、私にとっての「はじまりのごはん」です」と話してくれました。

こうして、写真を撮られた方にその時のお話しをしていただきましたが、実際の展示では、写真と、撮った方のお名前と、日時しか情報がありません。にもかかわらず、写真には多くの体験が寄せられました。

例えば先ほどの佐藤寛法さんの写真
・ラップが便利だった。
・この時ほどありがたみを感じたことはなかったかも。
・ご飯は食べられたがパンが手に入らなかった。パン食べたかった。
・神戸の記録を見ていて、ラップを買い込んでいて役に立ちました。よかったです。

篠原治樹さんの写真には
・24時間365日開いているのがあたりまえのコンビニがまさか閉まるとは思わなかった。
・全国チェーンのコンビニは閉まっているのに、個人商店の八百屋さんは開いて商品を売ってくれた。日頃から地域の商店を利用し大切に育てていくことが大事だと思いました。

このように、他の方が撮った写真であっても、自分の体験を重ね合わせることで、語れる素材となるとなるところが、「3月12日はじまりのごはん」の特徴です。

ここで、前回の公開サロンにご参加いただき、横浜での「はじまりのごはん」を開催してくれた方にもお話を伺いました。

「前回参加し、最初の展示をここ仙台で見た時に、一緒に来ていた大学生のひとりが震災当時ディズニーランドにいて、その時の話を聞いていたら(第14回レポート参照)、被害のひどい沿岸部だけが取り上げられがちだが、この震災は広く薄く被災が日本を覆っていたんだなと、改めて気づかされた。

沿岸部から仙台の中心部まで、「被災」がグラデーションになっていて、そこに住むみなさんそれぞれに被災体験がある。そのグラデーションが、関東までつながっていて、もちろん横浜までもつながっている、ということを感じた。と同時に、このツールは首都圏に住む人にとっても共有できるツールになる、と実感した。

横浜で開催したとき、会場は、ご飯を食べるように床に座ってみんなでテーブルを囲んだ。その時に『ご飯って偉大だな』と感じた。集まった10人ほどで、薄く広く広がった被災の話をし、横浜でも共有できたことが、貴重な体験だった」

沿岸部以外の人は、多くの人が、震災について語ることができないでいるのが現状です。街の人は、沿岸部の人に遠慮がちになり、自分の体験を話せない、話す必要がないと思っている人が多くいます。しかし、津波だけが被災ではない。仙台市内であれば震度6強、6弱、という大変な揺れを体験したなかで、どう体験を語ってもらえるかが課題でした。「はじまりのごはん」は、食を通すことでそれが少しでも語るきっかけになっているのではないかと思っています。

ここで、少しの時間、会場のみなさんにも「はじまりのごはん」を思い出していただきました。
・仙台出身、東京在住の方。家族が震災にあっているというショックで、数日間何も食べられなかった。友達が無理矢理連れ出してくれ、行きつけのお店の店主が朝から何時間も並んでようやく手にしたバケットを温めて出してくれて、それを食べたのが3月16日の夜。
・仙台市の泉にお住まいの方。自宅の被害はなかったが、当時、小学校のPTA会長だったため、町内会長たちと一緒に小学校に泊まった。翌朝、アルファ米の炊き出しをし、みんなに配り終わって残ったものをいただいたのは覚えているが、帰宅し家族に全て渡したのか、自分でも食べたのか、覚えていない。
・仙台市内の方。仕事から帰ったら、母が豚汁を用意してくれていた。米も野菜も備蓄があり、電気もガスも使えない中、卓上コンロを使って作ってくれた。近所の方と物々交換をしたりと、ご近所のありがたさを感じた。職場にひとり暮らしの方がいたのでおにぎりを作って持って行った。

このように、「食」から引き出された話からは、当時の生活ぶり、コミュニティ、感情までを引き出し、克明に語っていただくことができました。

「はじまりのごはん」は各地で開催していますが、先日の七郷中学校で取り組んだとき、今回と同様、生徒たちは自分の体験と、写真とをすり合わせて、自分はこうだった、と鮮明に思い出して語ってくれました。当時小学校1・2年生だった彼らは、震災を実体験として語れる最後の世代です。

体験談を聞き、オーラルヒストリーとして記録していくこと。

写真をもとに語ることは、震災体験を伝えるのに重要な役割を持ちます。体験談を聞き、オーラルヒストリーとして記録していくこと。これが「震災アーカイブ」の持つ役割のひとつであり、今後も、こういった場を通して、語り続けていくことができればと願います。

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報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

 

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