考えるテーブル

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美術準備室

あけまして美術準備室

講評ってどうやってするの?
■ 日時:2013 年 1 月 20 日(日)14:00−16:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7階スタジオa
■ 参加無料 申込不要 直接会場へ

 

絵画展の会場で、作品を前に講評会をしているのを見たことはありませんか?または、河北展の審査員の短評を読んだことはありませんか?そもそも、作品を見て感じたことを言葉にするって難しくないですか?
作品の講評って、どういう視点をもってやるのか、作者にどうなってもらいたい、という考えをもってやっているのか。講評と批評の違いはなにか。実際に作品を講評してもらいながら、その作者、講評者をまじえて「講評すること」「感じたことを言葉にすること」について話し合ってみませんか。

 
先輩紹介
畠山信行 先輩
仙台美術研究所 所長
 
鴻崎正武 先輩
東北芸術工科大学
芸術学部 美術科 洋画コース准教授
 
尾崎行彦 先輩
版画家
アトリエJ主宰
美術準備室活用委員会委員長
 
「美術」一歩手前の「準備室」で先輩方とおしゃべりしましょう。
 
まな板の上の鯉大募集
自分の作品を講評してもらいたい方の作品を大募集します。当日会場に直接お持ちください。特別に額装等は必要ありません。大きさは50号まで。作品の持込みは当日の13:00に会場へ。(平面作品に限ります)

美術準備室のウェブサイトhttp://w.livedoor.jp/artcafe/

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主催:美術準備室活用委員会/せんだいメディアテーク
問合せ:TEL/FAX 022-224-5308、メール sb@md-sendai.com(美術準備室活用委員会)

美術準備室「あけまして美術準備室」レポート


■ 日時:2013 年 1 月 20 日(日)14:00−16:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7階スタジオa


講評ってなに?

講評ってなんでしょう?
どうやら自分の作品を先生に見てもらいアドバイスをもらうことらしいのですが、経験者から話を聞くと講評会ではひどく落ち込むそうです。なぜでしょう?どうして講評って必要なのでしょう?その疑問を解決するため、実際に講評会をしてみました。
生活文化大学高校、宮城野高校の美術部、東北大学の学生から作品をお借りしました。会場には当日の持ち込み作品を含め、15点もの作品が並びました。その多くが50号をこえる大作です。美術準備室が本物の美術準備室らしくなりました。また、講評を受ける人として作品の作者も6名出席していただき、本物の講評を見学しました。
講評をする人には、
畠山信行先輩(仙台美術研究所所長;以下H先輩)
似顔絵(3点とも):おの氏

鴻崎正武先輩(東北芸術工科大学准教授;以下K先輩)
      画:おの氏

尾崎行彦先輩(アトリエJ主宰 美術準備室活用委員会委員長;以下O先輩)


をお招きしました。3か所あるテーブル(A,B,Cグループ)に絵が5点ずつ配置されており、先輩方が20分で各テーブルの作品を講評していきます。同じ作品であっても、先輩によって講評が異なります。どのような講評だったのか、レポートでご紹介します。
※《作品名》/作品名不明の場合は、作者名を表記。

 

Aグループ
作品がずらり

写実的な油画、抽象的な油画、日本画と異なる個性を持ちながらも丁寧に描かれた作品がならんだAチーム。三人の先輩たちの講評を聞いているとそれぞれの作品を見るときのポイントとその絵の魅力、改善方法がわかりました。油画の場合どのように描写して何を表現しようとしているのか、色をどのように使って表現しているのかをみます。例えば写実的な作品だからといって全てを丁寧に描写することだけが重要なのではなく、ラフに描く部分と対比させることで絵の中に空間や具体的なもの以上のイメージを作り出すことが出来るといいます。日本画の場合は画面の構成とデッサン力、線の美しさなどが大切なようです。「背景を描きくわえると絵の持つ緊張感が変わってくる」「構図をすこしずらすと視線の入り口ができて見る人を引き込むことが出来る」「筆を変えて試してみたら?」「描いている途中自信が無くなったからと言って他のものと付け足してはだめ、描きたいと思ったものだけを逃げずに丹念に描こう」など、具体的なアドバイスによって作品がどのように変化していくのかが、成長途中の学生さんの作品だからこそ実感をもって理解することが出来ました。また、会場に来られた作者が1名だったためマンツーマンの指導が行われたり、出品者からの「ここがうまくかけない、どうしたらいい?」という質問を皆でかんがえたり、講評を聞くと同時にプチ絵画教室のようになっていました。

柳内聡太さんの作品
柳内聡太さん作品(10号、油彩)

H先輩:
表現したいもののイメージがあって楽しい絵。よりイメージをしっかりと表現するためには描写力と画面の構成力が必要だろう。紙風船が描かれている絵では画面を十字に区切ったときに左側に本、右側に紙風船というように2つのものが対等に並びすぎているのでどちらかを中央に寄せる、前後関係をつくるなどどちらが主役であるのかをはっきりとさせると見応えのある画面になるだろう。人物の顔のある絵では下地に工夫が見られてよいが、水面の描写が不足しているようにかんじられる。また、白色が強く出過ぎてしまっているのでオイルをかけて弱めるといいのではないだろうか。
O先輩:
「描けるひとであるがテクニックが透けて見える感じがする、なぜハート(記号)を描きいれたんだろう?」ハートなどの記号は象徴性が強すぎるため、見る人によってその意味を誤解されたり分散されすぎてしまう(ハートのかたちをみて愛を思う人もいればトランプ、心臓・・・、もっと個人的な思い出を思い出す人もいる)。記号をそのまま描くのではなく、描写することでで表現しなければならない。描写力はもっているのでなにをどのように描けば自分の気持ちを一番表現できるのかかんがえてほしい。
K先輩:
なかなかシュールな絵。自分の身の回りにあるもので自由に画面を構成して描いているので絵の中で遊べる人なのではないだろうか?紙風船や人物の顔などのしっかりとかき込んでいる部分とドローイングのように線だけではずして描いている部分があり描き分けようとしている意識は感じられるが、もっと対比させるべきだと思う。かけるひとなのでもっと辛抱強く描き込んでみてもいいのではないだろうか。そうすることで画面に遠中近の空間を作り出すことが出来るだろう。紙風船の絵において、逃がすように描いている線が紙風船などのモノともっとかかわっていくとおもしろいのではないか。

山田もも子さん《おめかしⅡ》

H先輩:
緊張感のあるポーズでよいが、肌の色と背景の色が似すぎていることが気になる。背景に場(街中か、教室か、電車の中か?)を描き入れると空間が感じられてよいだろう。また、その描き加えられる場によって絵のもつ緊張感や物語が変化しておもしろいだろう。
O先輩:
「技術を見せようではなく素直に丁寧に描いていてる。」頭のかたちに奥行きが感じられないので人物を少し左にづらした構図にするといいのではないか。デッサンは丁寧に行えているので色をどのように表現するのか考えてみてほしい。髪の毛=黒ということにはならないはず。
K先輩:
「タイトルにⅡとついているとⅠが見たくなるね」。目の描写に臨場感がある。マスカラをつける行為がテーマならブラシのスクリューの感じなどマスカラ自体ももっと丁寧に描いた方がいい。顔の色と背景の色が似すぎてしまっているのが残念。髪の毛の感じが少しおもたいので「おめかし」のテーマにそぐわない感じがする。洋服のそでを白色で丁寧に描きおこそうとしているのは良いが、筆をかえるなどの他の方法も探してみてほしい。

武田みのりさん《9月の山》
武田みのりさん《9月の山》(50号、日本画)

H先輩:
ススキの勢いや植物のかたちをよくおって描いているが、もっと見せ場や変化が欲しい。2本のススキがほぼ均等に画面に描かれているが、そのススキに(男⇔女・私⇔友人)のような意見はあるのだろうか。均等に並んでいると、主役がどちらかわからない、一方のススキを少しのばすなどして遠近を対比させ空間をつくり、見る人の視線を移動させてみよう。遠くの山に雪を積もらせてみると第2のポイントがうまれるだろう。日本画には描写力と構成力、何を表現したいかが大事。
O先輩:
日本画と西洋画の空間表現の違いを考えてみよう、洋画は陰影で描くが日本画は”ろうそく=夜”のようにおやくそくで表現していくもの。日本画における遠中近景の描き分けのテクニックを身につけよう。制作中、画面の力に自信が無くなったからといって何かを描き加えてみようというのは何が描きたかったのかわからなくなるし、見る人にもうまく伝わらなくなるのでいけない。付け足しで逃げるのではなく、描きたいと思ったものをしっかりと、深めて描くようにしよう。
K先輩:
取材して描いた感じが伝わってくる。手前の葉の重なりあっている様子がうまく出ている。手前の書き込みと奥の山の空気遠近法の対比が心地よい。ススキの描き方がおっかなびっくりな感じなので、心を落ち着かせて(ハッタリをきかせて)すーっと描くようにしよう、これは描けば描くほどできるようになる。手前にものを描いても奥が主役になるような描き方を工夫しよう。山並みは横構図の方が描きやすいが、山の入り組み方だけで一つの表現を追求してみたらおもしろいかもしれない。

渋谷七奈さん《天人》

H先輩:
「天人、てんじん?てんにん?何て読むんだろう?」宇宙的なもの、揺らめいているものを感じる。顔の部分は具体的に描かれているが身体や下の方はぼんやりしていてよくわからない。一方で腰のライン(?)の青色はちょっと見えすぎているようにおもわれる。ぼんやりと見せたい場合でももっと描き込んで展開をもたせると画面に見応えがでるし、顔の描写もいきてくる。
O先輩:
「色が好き、色で表現する力がある人なのだろう。」人体にこの色を使って何を表現したいのか?「天人」とあるからおそらく天上の人とか、人間とは違うものをあらわしているのだろう。西洋の宗教画では頭身を変える、肉付きをオーバーにするなどして理想美を描くことで実際の人間との差別化をはかっているがこの絵ではできているだろうか。
K先輩:
パネルに麻布を貼るなどして支持体をつくる時点で工夫が感じられる。赤色と青色、蛍光色と白色など色の響き合いが毒々しく、日本人的ではないがハイセンスであると思う。身体の部分も服を描くというよりは風景のようでイメージをかきたてられる。ただ腕のかたちや身体の奥行きがよくわからないのが残念。人間のかたちを描くのであれば生命感、生物感を出すように人体構造の基本をおってみるとよいだろう。

Bグループ



講評に際して、畠山先輩は本人の意見を聞きながら何を描こうとしているのかを重視し、鴻崎先輩は絵に対する想いについて焦点を当てていました。以下、Bグループ5名の作品講評を紹介します:

石田陽子さん《秋のおとずれ》

K先輩:「マチエールからツタを描こうとする気持ちが伝わってくる。赤と緑の色彩のせめぎあいも狙い通り。鉄格子の影が描けているので、ツタの影も描けるとより良い」
H先輩「一生懸命さが伝わってくる。対象の観察では色々見えているとよい。観察があれば努力が生かされる」
O先輩「ツタだと思える観察力が必要。主題であるツタの細部をしっかり描きたい」

星希実子さん《はるをまつ》

K先輩「下地の色が綺麗で、生命感が出ている。人物との関係のディテールが見たい」
H先輩「春を待つ冬の絵のイメージ。これはどういう木なのか、自分の視点がほしい。人物と背景はよく描けているが、木に違和感がある。筆さばきは良い」
O先輩「梶井基次郎を想起させる。家並みの描写が面白いのに対し、木の枝の稚拙さが気になる」

佐藤なつこさん《かいか》
佐藤なつこさん《かいか》(50号、日本画)

K先輩「あけびをクローズアップしているのが面白い。どこからつるが伸びているのか関係性が誠実に描かれている。どのようにあけびを見せるかが大事になる」
H先輩「色が背景と調和していて素敵。色彩の対比など構図を考えるべきで、もっと展開がほしい。背景の低い部分の色が街並みを感じさせるので、ただのグラデーションからイメージを入れると良い」
O先輩「主題であるあけびをもう少し大きく描くべき。印象がそれだけで変わるので、タイトルは重要」

児島楓さん《目をそらせ》

K先輩「現代的な視点。綺麗な色調だが描かれていない部分が気になる。手前と背景の抜け感がほしい」
H先輩「頑張っているが、作者の視点が絵画空間のどこにあるのかという知的な風景を見たい。この作品を制作するということが作品を描いた証明となっていて、時代を示している」

千葉成美さん《トカゲ君とその空飛ぶお部屋》
千葉成美さん《トカゲ君とその空飛ぶお部屋》(10号、ミクストメディア)

K先輩「小さいながら壮大な世界を描いている。斬新な構図で質感が描かれており、物質的にも迫ってきている」
H先輩「小さな女の子を目立つように描きたい。かたちを目立たせてもいい。明暗を考え、色相をぶつけてみると良い」
O先輩「この緻密さは好きだが、主題が見えなくなる恐れがあるので、描かないともよいところは手を抜いてもいい」

Bグループの全体的な印象として、各々の先輩が重視している考え方が作品のディテールや全体の構成の評価につながっていたように思われました。講評というと厳しい指摘がありそうなイメージですが、それぞれの描き手の長所をはっきりと伝え、描き手本人がうまく描けなかったと述べている部分については、より良い表現が可能になる助言を行っていたのが印象的でした。このことから、鴻崎先輩や畠山先輩が述べていた、描き手である学生のために目標を伝えるという講評の意義を感じ取ることができました。

Cグループ



Cグループでは大小あわせて5点の平面作品の講評が行われました。
遠藤真裕子さん《我が家の王様》
工藤有季さん《すい》
菅野さん《光》
丹野明花さん《アカンサス》
小野智香さん《改題・覗》
私は、今回このグループに出品し、講評会にも参加した生活文化大学の遠藤さんの作品講評を通して、各先生方の講評の観点を探っていこうと思います。
遠藤さんの作品は《我が家の王様》というタイトルで、自宅で飼っている猫をモチーフに描いた作品でした。猫が擬人化し、王様の格好をしていて、画面の随所に猫の好きなものが配置されています。この作品について、先輩方の講評はどのようなものだったのでしょうか。
遠藤真裕子さん《我が家の王様》(50号、油彩)

O先輩:
作品から客観的に感じられる感想を述べ、主に作品上に配置されている「モチーフ」について講評していきました。画面上のモチーフがどのような役割を果たしているのか、作品の分析が重要であると述べていました。
K先輩:
作品の素材や技法など、主に「作品描写」の視点で考察されていました。ねそべっている猫や転がっているビー玉など、有機物と無機物の描き分けに着目し、細部まで観察することをアドバイスしていました。
H先輩:
最初に主に作品から感じられる雰囲気から、作者に質問を投げかけていき、作者自身がどういった心情でこの作品を描いていったのかについて聞いていきました。そして、なぜこれを描いたのかという、「描く意義」について着目し、深く掘り下げた講評を行っていました。
出品者と畠山先輩のやりとり

今回は3人の先輩に同じ作品を講評していただくスタイルで進んでいきました。
同じ作品でも講評での意見やアドバイスは全く異なり、別々の視点からみることで発見が多かったということがわかりました。また3人の先輩方の講評には、それぞれ作者に対して一貫したアドバイスをより明確に見出すことが出きました。出品してくださった皆さんにとっては、新たな刺激を受け、とても有意義な時間を過ごせたのではないでしょうか。

各テーブルのレポートは以上になります。


最後に、先輩方が考える「講評」と「批評」についてお聞きしました。
鴻崎先輩は、講評を「受験など達成する目標がある人に対して、時には相談にのりながらアドバイスをすること」とし、批評を「その絵が社会的にどうみられるかを判断すること」としました。
畠山先輩は、講評は「人に対して」、批評は「作品に対して」するものと表現しました。
尾崎先輩は学生時代、先生から講評を受けたことがなく、講評って一体なんだ?と一生懸命考えたことをお話ししてくださいました。

お話を聞いてみて、講評とは、たとえ厳しい言葉を突き付けられたとしても、その裏には作者への愛があるような気がしたのでした。

報告:美術準備室活用委員会(臼井 上原 小野 村上)

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