考えるテーブル

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四ツ谷四方山考現学

第1回「四ツ谷用水のドボクなおはなし」

■日時:2013 年 1 月 26 日(土)14:00−15:30
■場所:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■参加無料、申込不要、直接会場へ

問合せ:仙台市環境局 環境対策課 水質係

tel 022-214-8223 fax 022-214-0508

■主催:せんだいメディアテーク、四ツ谷用水再発見懇話会
■事務局:仙台市環境局 環境対策課

 

■第1回 四ツ谷用水のドボクなおはなし

「四ツ谷用水」って聞いたことありますか?東京の怪談で有名なところ…ではなく、約400年前、洪積台地上に立地し水の便が悪かった当時の仙台の町を隅々まで潤すために、伊達政宗が作らせた水路です。
考えるテーブル「四ツ谷四方山考現学(よつやよもやまこうげんがく)」では、かつて仙台城下を縦横無尽に流れていた四ツ谷用水について、これまでの歴史や懐かしさだけに留まらず、現在の、そしてこれからのあり方まで、皆さんといろいろな視点から語り合いたいと考えております。四ツ谷用水について初めて耳にするかたも、もっと知りたいというかたも、どうぞ気軽にご参加ください。

 

■話題提供

柴田尚さん(「仙台・水の文化史研究会」会長)

第1回 四ツ谷四方山考現学「四ツ谷用水のドボクなおはなし」レポート



朝起きたら、前夜からの雪で窓の外は真っ白! もしかしたら、今日の考えるテーブルには皆さんに参加していただけないかも…と思ったのはただの杞憂でした。午後2時が近づくにつれ、あらかじめ用意していた30部の印刷物は瞬く間になくなり、せんだいメディアテーク7fのスタジオaは、ほどなく座る場所もなくなるほどの参加者で埋め尽くされたのでした。 1月26日、本日は、仙台水の文化史研究会会長の柴田尚さんを話題提供者に迎え、「四ツ谷四方山考現学」の第1回目「四ツ谷用水のドボクなおはなし」が開催されました。 四ツ谷用水再発見懇話会の佐藤正基座長から開会のご挨拶がありました。続いて仙台市環境局の佐々木起代子係長より、平成22年から始まった懇話会の沿革について説明がありました。ひと通り、四ツ谷用水再発見の取組みについておさらいをした後、本日の話題提供者である柴田さんの登場です。 まず、仙台の水文化の研究には郷土史研究家の佐藤昭典氏の功績が大きいことが紹介されました。 そして本題に入る前に、東日本大震災による津波が襲来した南蒲生にある下水処理場の衝撃的な画像がスクリーンに映し出されました。さらに、この処理場には柴田さんの筆による広瀬川の水彩画が展示されていましたが津波により流出してしまいました。しかし、奇跡的にその作品は瓦礫の中から見つかり、洗浄されて綺麗に泥が取り除かれ、復元されました。

津波で流され、奇跡的に戻ってきた柴田氏の水彩画 今回の討論テーブルの真ん中に展示された作品がそれです。津波被害を乗り越えて柴田さんの手元に戻って来た時にはとても感慨深かったそうです。 この津波により、下水処理場の浄化機能は長い期間失われてしまいました。でも、震災後間もなく下水を排水溝に流すことができるようになったのを覚えているでしょうか?壊滅的な被害を受けた下水処理場でしたが、排水機能だけは温存することができたからなのだそうです。 江戸時代から明治へ、仙台の下水設置は日本国内でもいち早く行われ、そこには四ツ谷用水の知恵が生かされてきたといいます。そうして、下水処理場の話は四ツ谷用水へとつながっていきます。 伊達政宗が開府した当時の仙台城下は、洪積世※1の地層の上に作られ、水の便の良くない街でした。 そこで城下を潤すために作られたのが四ツ谷用水でした。 四ツ谷用水は広瀬川左岸の荒巻村郷六から取水、八幡町から街中を貫流して、宮町を通り、梅田川 へ流れ込みます。城下に入ると土橋通りから第1支線、木町通から第2支線、二日町で第3支線が分かれ、さらに支線から枝分かれしていき、総延長44kmにわたります。 かつて、四ツ谷用水は飲用、雑用、産業用、消火用などに用いられ、それらの排水を受け入れました。地下水涵養※2により井戸を潤し、仙台の都市環境を整えてきました。四ツ谷用水によって涵養された地下水脈は、仙台市街地の緑を育て、「杜の都」の形成に一役買っているのです。 四ツ谷用水は郷六の取水口から0.3~0.4パーセントの緩やかな傾斜を持ち、自然流下により仙台の市街地を生活用水を潤してきました。さらに、仙台市街地から南蒲生下水処理場まで、下水は同じように0.3パーセントの勾配をもって海へ流れ込みます。四ツ谷用水の設計の知恵が下水道の復旧に生かされたと言えるでしょう。 四ツ谷用水には平常時の都市生活だけでなく、非常時の水源としての可能性があります。震災直後も函渠※3化された旧四ツ谷用水本流には豊富に水が流れていました。残念ながらその水は非常用水として利用することはできませんでした。

話題提供者:柴田尚さん

話題提供の最後に、柴田さんは4つの提言を掲げました。 1)水環境を整えることが街に森を育てる。 2)水環境を整えることが災害に対応できる都市を育てる。 3)水環境を整えることは地域の特性を歴史から学ぶこと 4)水環境を整えることは次世代に誇ることのできる財産 杜の豊かな仙台は水の豊かな都でもあります。と話題提供をしめました。 注釈 ※1洪積世(更新世):こうせきせい。約258万年前から約1万年前までの期間。この時代に堆積した地層は、さらに古い時代の地層よりも水はけが良い(水持ちが悪い)ことが多い。 ※2地下水涵養:(ちかすいかんよう)降雨・河川水などが地下浸透して、帯水層(地下水が蓄え られている地層)に水が供給されること。 ※3函渠:かんきょ。函型(箱形)の水路。 ここから先は、「考えるテーブル」の真骨頂である、参加者同士の対話の時間です。どんどん手が上がります。



発言1)開府以前の仙台の地形・地質・自然環境と四ツ谷用水建設の必然性の関係について。仙台の低地は水の便が悪いというよりはむしろ、汚れた水が湧き、澱みやすい土地であると思われるので、そういうものを強制的に流し去り、地下水位を保つためにも四ツ谷用水は必要だったのではないか?本流の流れているのが北六番丁である、というのも必然では? →柴田さん)開府前の資料というのはあまり残っていないが、地形的なものとして、河岸段丘は200万~100万年前に形成されているので、江戸時代と現在とでそれほどの違いはないと思われる。一方、伊達政宗が岩出山から仙台に移った時に5万人規模の街づくりをするにあたって、排水を第一に考えたのでは?という質問者の仮説は充分ありうることだと思われる。 発言2)四ツ谷用水の上水や下水としての利用について、当時同じ流れを共有していたのか?地下水位が下がっているのは四ツ谷用水が無くなったためだけではなくて、都市化によるのではないか、と考えているが地下水脈のことについて聞きたい。震災当時の下水道の利用について説明されたが、四ツ谷用水を地表に復活させて有効な利用ができないか、柴田さんの夢を聞かせてほしい。 →(柴田さん)舗装路面による雨水の浸透が妨げられており、都市化による地下水脈の低下は間違いないと思われる。地下構造物による地下水脈の低下については研究不足である。上水道の整備は大正時代であり、明治期に行われた下水道よりは遅い時期である。それまでは井戸水が大きな役割を持っていた。 発言3)四ツ谷用水はフローコントローラーとして渇水、洪水時にどのように対応していたのか? →(柴田さん)四ツ谷用水は郷六の取水口などで水量をコントロールして、流量を調節する機能を持っていた。 発言4)水の都といえば大阪、新潟、岡山などが思い浮かぶが、仙台を水の都として復活させる為に、どんなビジョンをもっているか? →(佐藤座長)懇話会としてのビジョンは、このような会での対話をもとに創り上げていきたい。全ての四ツ谷用水を復活させることは不可能と思われるが、個人的には北六番丁を中心に水辺づくり、緑のある街づくりを進めていけないかと考えている。



ファシリテーター:高橋さん

会場全員にマイクを向けた 発言5)四ツ谷用水を開渠し、この水を利用して東北大学農学部を中心とし、県庁、市役所、教育施設事業所などにビオトープネットワークを作ることを提案する。仙台の街を俯瞰した時に、緑に覆われた素晴らしい街ができるのではないか。 →(柴田さん)四ツ谷用水と抱き合わせたビオトープ案には賛成したい。杜の都形成の由来は城下の武士が自宅に樹木を植え、畑をおこしていたものの名残である。同様に、これからは企業(民間)、住民がそれぞれの土地に緑を植え、育てていくことで杜の都を維持していくのが重要と思われる。それには、豊かな地下水脈が必要であり、四ツ谷用の再開発に期待したい。 発言6)八幡町で過ごした幼小時には、生活の中にあった四ツ谷用水があるとき突然暗渠化されて寂しい思いをした記憶がある。当時、暗渠化されるにあたって市民からの要望があってのことだったのか?高度成長期下、一方的に行政の政策として行われた工事だったのか知りたい。大深度温泉掘削は、地下水位に影響は与えていないのか?規制はないのか心配。 →(柴田さん、佐藤座長)浅い地下水の工業用水利用、汲み上げについては実害があるので規制があるが、大深度地下水の規制はない。(温泉の掘削の許可は法律的にも別で、仙台市ではなく宮城県が持っている。)地盤沈下を起こすような浅い水位の地下水脈と大深度の地下水脈は不透層を隔てているので、直接の関係はないかもしれない。 発言7)仙台に来て30年、四ツ谷用水について資料では知っているが実際に水を見たことがない。水の流れていない四ツ谷用水の遺構を八幡町で見て感じたのは、観光客がその遺構を見てもアピールするものがあまりないのでは?観光資源発掘のためにも是非、水の復活を望む。


最後に、会場におこしいただいたみなさまに、ひとこといただきました。 • 名前しか聞いたことがなかったが、勉強になった。 • 戦災復興記念館で開かれたイベントに参加できなかったのが残念で、今回新聞でこの会が開かれることを知り、勉強したいと思い参加した。次の機会も参加してみたい。 • 四ツ谷用水のイメージはだいたい知っていたが、今回の参加で点と点がつながったように思う。 • 荒川など、都市を流れる川が整備され、親水スペースとして生まれ変わっている。仙台には広瀬川はあるが、街中を流れる子どものための水辺として四ツ谷用水の可能性を考えてもよいのでは? • 今は百万都市としてミニ東京のようになってしまった仙台だが、もともとは城下町であった。水が流れる用水が街の中に復活すれば、失ってしまった落ち付いた城下町のイメージも取り戻せるのではないだろうか?水の流れる四ツ谷用水を都市計画に取り入れてほしい。 • 名前くらいしか知らなかったのだが、今回人の命を守ってきた大切な用水であるという事を学ぶことができた。この用水の研究は財産。それらを若い人に語り継ぐ必要があると感じた。もっと標識や看板を増やして一般の人に知ってもらうことができればと思う。 • 用水の管理はどのように行われていたのか知りたい。藩だけだったのか、住民も参加していたのか。 • 標識でアピールするなら、四ツ谷用水が見えるようにしてからでないと。 • 現実に見えるようにするのは難しいと思うので、まずバーチャルで見せるようにしては?自分の家は四ツ谷用水が復活した時にどうなるか、などということを知ることも議論のきっかけになる。 • 梅田川を主なフィールドとして活動しているが、四ツ谷ばかりでなく、仙台圏の水環境という形で活動を続けていきたい。 • 最近は改善されたがひところは四ツ谷用水の暗渠部の上が物置状態になっていたり、個人宅にとりこまれたりしている。そういうところであってもこれから整備することによって災害時の避難経路などに有効利用できる可能性がある。 • 四ツ谷用水が見える化されることを望む。 • 震災時に旧四ツ谷用水の水が止まらずに流れていたという話は興味深かった。四ツ谷用水を復活してほしいという声は大きいが、実際の街中はマンションなどの建物が詰め込まれて余裕がないので、遊びを持たせた都市計画づくりを行ってほしい。その遊びの部分が災害時にも生きてくるのではないだろうか?



会場には、広瀬川河畔を描いた柴田さんの小品も • 市内全体でみればいろいろな散策路は整備されてきている。四ツ谷用水に関しても知名度は高いのだから、市民の方にもっと身近に感じてもらえるように更に散策路を整備してほしい。 • 効率性と経済性が最優先されて結果暗渠化されてしまったが、これから我々は効率性より人間性を優先させていく必要がありそうである。 • 四ツ谷用水がどこを流れていたかを初めて知ることができた。定禅寺通りの真ん中などに四ツ谷用水を偲ぶ事をできる(モニュメントのようなもの)ものをどんどん作って日本中の人に「水の都」をアピールすることを提案する。 • 先日せんだいメディアテークで行われた環境に関するフォーラムに参加したことが四ツ谷用水を知るきっかけになった。仙台に来る前までは「水の都」を名乗る新潟に住んでいたことから、今回の題名に興味を持って参加することになった。 • デスティネーションキャンペーン活動を通して、名掛町と新伝馬町の境がアーケード街にちゃんと残してある事を知った。アエルの横につくられた小さなモニュメントだけでなく、子どもや市外から来た人たちに四ツ谷用水がどこを流れていたのか伝えたい。例えば大崎八幡の暗渠の上で耳を澄ますと、今でもかすかに水音を聞くことができる。一部でも水を流して、人々に見せてあげたいと思う。 • かつて四ツ谷用水は生活に必要不可欠なものだったが、現代では完全に関係は途切れたと言ってもいいと思う。でも、今回の参加者の方のお母様が四ツ谷用水の水で洗濯をしていたと言っていたがそういうことへ耳を傾けることから環境を取り戻すきっかけになるのではないかと思う。 • 四ツ谷用水のそばに住んでいた。汚れた水を見てあんなもの早くなくなればいいなあと思っているうちに、本当に埋められてしまった。その後、何十年来の大雨が降ったとき、マンションの地下に水が流れ込んで浸水してしまった。話は変わって去年の夏、仙台駅の東口の水辺。祭りの日にここで遊んではいけませんと書いてあっても、無視して遊んでいる子どもの姿を見た。いいなあと思った。 一瞬たりとも発言が途切れることなく、四ツ谷用水のこれまでとこれからについて談義は続き、参加者のみなさんのメモ帳は発言内容や疑問点でびっしり埋まっており、四ツ谷用水への市民の関心の高まりをひしひしと感じました。予定の時間を多少オーバーし今回の考えるテーブルは終わりました。朝に積もった雪が全部溶けてしまいそうなほど、熱い熱い1時間半でした!

報告:四ツ谷用水再発見懇話会

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板書1枚目

 



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