考えるテーブル

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四ツ谷四方山考現学

第2回「身近にあった水辺と暮らし」

■日時:2013 年 3 月 17 日(日)14:00−15:30
■場所:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■参加無料、申込不要、直接会場へ
■問合せ:仙台市環境局 環境対策課 水質係

tel:022-214-8223 fax:022-214-0508

■主催:せんだいメディアテーク、四ツ谷用水再発見懇話会
■事務局:仙台市環境局 環境対策課

 

■ 第2回「身近にあった水辺と暮らし」
四ツ谷用水を含めた水辺と人々の暮らしについて、さまざまな視点から自由に語り合い、仙台と水の関係を考えます。

 

■話題提供

西大立目 祥子さん

 

第2回 四ツ谷四方山考現学「身近にあった水辺と暮らし」レポート

平成25年3月17日日曜日。本日は「第2回四ツ谷四方山考現学」です。大雪だった第1回目とは打って変わって暖かな一日となりました。 東側を正面に大きな黒板、柴田さんの絵を囲んで車座になるように座席を配置した前回とは趣向を変え、前回以上に参加者同士の活発な対話を促すために今回は西側に大黒板、机は参加者が4つのグループに分かれるように配置しました。 全体の様子1

14時の開催を前に三々五々、参加者が集まってきます。参加者は40名。前回よりは少ないとはいえ用意した座席が瞬く間に満席になる中、「第2回四ツ谷四方山考現学」の幕は開きました。 本題に入る前に、四ツ谷用水再発見懇話会(以下懇話会)の佐藤正基会長からのご挨拶と、進行役の水・環境ネット東北の高橋万里子さんによる導入の後、いよいよ本日の話題提供者、西大立目祥子さんの登場です。 八幡町の一角に「覚性院丁」という地区があります。ここには春日神社の祠がまつられています。神社の参道の傍らには、近くで生まれ育った今野喜一さんというかたが昔を思い出しながら描き、神社に奉納した春日神社周辺の俯瞰図が掲示されています。西大立目さんはこの絵の写しをもとに、四ツ谷用水の周辺で営まれた住民の暮らしを紐解いていきます。 今野さんがまだ若かった昭和15年ごろの覚性院丁周辺の四季が一枚に盛り込まれています。よく見ると秋の紅葉と満開の桜の花が一つの絵に一緒に描かれた不思議な風景です。尚絅学院に流れ出る「へくり沢」と春日神社の参道を横切るように四ツ谷用水が東へ流れている様子や、覚性院丁で江戸時代から続く石屋や、軒先に商品を干している染物屋、茅葺き屋根の家などかなり正確に描かれているようです。 西大立目さんは絵の右下(八幡小学校の裏)に描かれた大きな池に着目します。この池は、江戸時代に清水道閑(古田織部の高弟)の設計により伊達家の屋敷として作られた「御飼鳥屋敷(おかいどりやしき)」の庭園にありました。池の水は四ツ谷用水から引き込み、水鳥が遊んでいたといいます。明治以降民間人の手に渡り昭和30年代までは憩いの場として利用されていましたが、現在は宮城県看護研修センターとなり、当時の面影は庭園に植えられていた松の木だけです。御飼鳥屋敷が現存していたころは周辺には田んぼがあったり、仙台染織工場があり、工場では染料を洗い流す為に敷地に引き込んだ四ツ谷用水の水を利用していました。

ディスカッションの様子

実は、西大立目さんが今回の考えるテーブルのために現地で取材をしていたら、四ツ谷用水の傍で幼少期を過ごした一人の老人とお話しすることができたのだそうです。そのかたによれば、昭和35~36年までは堀で米を研ぎ、野菜も洗っていたといいます。井戸から汲んだ水を飲み、お風呂を沸かしました。夏はホタルやカニ(蟹子沢の由来?)がたくさん見られたのだそうです。 住人のかたによれば、高度経済成長期以来、上流に団地が作られるようになってから四ツ谷用水はどんどん汚れ、ついには利用できなくなったということです。 西大立目さんは訴えます。「今でこそこうやって皆さんが集まって四ツ谷に関心を寄せたり、もう一回四ツ谷に水を取り戻したいといった活動をおこなったりしているわけですが、経済成長の時期に汚れて、もう嫌になって暗渠にしたということなのだろうと思います。(将来水の流れを)取り戻すにしても、そういう過去を忘れたくないなあと思います。」 そして、「水というのは思いがけない利便性、遊びの空間となったり、生活の一部であったりいろいろな恩恵を与えてくれたのだと思います。逆に参加者の皆さんから四ツ谷用水と生活について情報をお聞かせ頂きたいと思います。」とひとまず話題提供をしめました。 この先は、「考えるテーブル」ならではの対話の時間です。今回は10人ほどのグループに分かれ、分科会形式で話し合いをおこない、最後にグループごとの対話内容を発表するという形でおこないました。) テーブルごとのディスカッションのまとめ テーブル① 四ツ谷用水との関わり合いを一人ずつ発表 四ツ谷用水復活のためにどうすればいいのか。 昭和17~18年(以前の)生まれのかたなら当時のことを覚えていると思われるので是非そういうかたの体験を聞きたい。 (テーブル①の補足) 仙台空襲のときに、四ツ谷用水を水源とするため池に飛び込み、家族ともども九死に一生を得た。四ツ谷用水はまさに命の恩人である。 テーブル②(西大立目さんも参加) 自己紹介の途中で、四ツ谷用水に関わって暮らしてきた90歳近くの参加者のお話しがとても詳しく、自己紹介を中断してずっと聞かせて頂くことになった。子どもの頃家の裏に汚い掘があり、その水が四ツ谷用水から来ていると後に知ったとのこと。実体験のみならず四ツ谷用水について知識も深く、いつまでもお話ししてもらいたいくらいだった。 テーブル③ 自己紹介から始めたが、自分の四ツ谷用水の体験を話し過ぎてしまった。 (テーブル③の発表を受けての質問) 四ツ谷用水の水は仙台の都市開発の為に使われてきたと認識はしていたが、水田を潤していたということはあったのか?という疑問があり質問したら、四ツ谷用水の堀払いのために沢山の農民が来ていたのでありうることだと思う、という回答をもらえた。 また、岩切地区の22町歩程の水田で四ツ谷用水の水を引いていたらしいということがわかってきたらしい(佐藤昭典さんの資料による)。しかしながら、どのような経路で水を引いていたのかわからないので是非ご存じのかたがいたら教えて欲しい。場所は小鶴新田駅の東側~苦竹駅の間、梅田川より西側の地区(にしだかこい、やどかこい、くさやちかこい、ぬまかたかこい、うちぬまかこい、なかじまかこい)である。 テーブル④ 自分の家の庭に四ツ谷用水が流れていたと話したら、生活用水として利用した体験をたくさん話すことになり、テーブルの意見のまとめ役になってしまった。 その他、このテーブルには仙台の外から転入したかたが5人もいらしたが、それぞれ四ツ谷用水の名前の由来や、標柱、貞山掘との関係から関心を持って参加してくれたという。関心はあっても現地を知らない方は是非実際に歩いてみてほしい。また、なぜ観光資源として利用しないのかという声も聞かれた。

ディスカッションの様子2 ディスカッションの様子

西大立目さんによる参加者への問いかけ 90歳近くの参加者のかたから体験談を聞くことができた。住んでいた元櫓町の近くに汚い堀(裏掘)があり、父親に聞いたら「四ツ谷用水」であると教えられたという。個人的には川はどのようにして汚れ、忘れられていくのか、という過程を御存じのかたがいたら教えて頂きたい。 参加者からの回答として 回答① 綺麗な四ツ谷用水の記憶しかない。広瀬川が増水して泳げないと、八幡神社の太鼓橋の辺りで泳いで遊んでいた。 回答② 生活排水が出ると、どのようにかして処理をしなければいけない。まずは身近な水路に排水を流した、ということは充分にあり得ることだったろう。さらに都市化が進むと排水の量は増え、水路は汚れていく。大雨の折に、その汚水が住宅地に流れ込んで害を与えることが続くと、下水道の整備(水路の暗渠化)が一気に進んだということだったのかもしれない。 最後に、座長の佐藤懇話会会長より、 「この3月をもって四ツ谷用水再発見懇話会はひとまず終了しますが、仙台市の行政では、これまで蓄積された四ツ谷用水研究や考えるテーブルの結果を市民のみなさんに知ってもらい、この流れを将来に繋ぐためにはどうしたらいいのか、みなさんの考えを出し合う場作りを企画する予定だという事です。今後も一般のみなさんにご協力をお願いすることがあるかもしれませんのでよろしくお願いします。」 というしめの挨拶をいただき、今年度の考えるテーブル「四ツ谷四方山考現学」の全日程を終了しました。

報告:四ツ谷用水再発見懇話会
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板書1枚目 板書1枚目板書2枚目 板書2枚目板書3枚目 板書3枚目

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