考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第3回「〈支援〉とはなにか?」

■ 日時:2011 年 9 月 25 日(日)16:00−18:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ ゲスト:鳴海幸(看護師・キャンナス仙台中央代表)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
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震災の未曾有の被害をまえに、芸術や文学、哲学などほとんど無意味なのか?
「いま、自分にできることをやる!」、「いま、わたしにできることは何なのか」………。
多くの人が、震災以降このような〈呪文〉にも似た言葉を社会のいたるところで耳にしてきた(あるいは自分自身で発言してきた)のではないでしょうか。
震災の被害に対して自分にいま〈できる〉支援とは何か? あるいは、そもそもわたしに支援が〈できる〉のか〈できない〉のか。震災に対するわたしたちの係わりを見ていると、多くの場所で、また多くの機会にこのような自問(呪文)が繰り返され続けていることに奇妙な感覚を覚えます。あたかもそれは、震災に対するわたしたちの係わり方には「支援〈できる/できない〉」といった一つの切り口しか存在しておらず、またそこでの係わり方の善し悪しが、その〈できる/できない〉といった価値基準からだけで判断(評価)されてしまっているかのようです。そういった意味からすれば、わたしたちの多くが、震災以降、このような支援〈できる/できない〉といった能力主義的な価値基準をもとに一気に試され続けていると言っても過言ではありません。それだからこそ、震災の被害に対する直接的な支援の成果を見出しにくい芸術や文学、さらには哲学などの活動をしている多くの人たちから、あらためて自分の「できなさ」「役立たなさ」に〈負い目〉を感じてしまっているという発言が相次ぐのかもしれません。芸術や文学、哲学などといった活動は、震災の被害に対して何も〈できない〉無意味なものなのでしょうか? 直接的で実効性があり、役に立ち、そして成果が見えやすいものだけが〈支援〉と呼ばれうるものなのでしょうか?
今回の「考えるテーブルてつがくカフェ」では、震災直後から〈支援〉の意味について考え、災害ボランティアナースとして石巻などで積極的に〈支援〉活動を行なってこられた看護師の鳴海幸さん(全国訪問ボランティアナースの会 キャンナス仙台中央代表)をお招きし、具体的な〈支援〉活動のなかで感じられたことなどをお聞きしながら、〈支援〉を考えるうえで重要なキーワードを粘り強く手繰り寄せ、参加者の皆さんとともに〈支援〉の意味についてあらためて考えてみたいと思います。
========================================てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

第3回てつがくカフェ「〈支援〉とはなにか?」レポート・カウンタートーク

2011年9月25(日)「考えるテーブル てつがくカフェ」の第3回目が開催されました。

テーマは「<支援>とはなにか?」

前半は看護師の鳴海幸さん(全国訪問ボランティアナースの会 キャンナス仙台中央代表)をゲストに迎え、石巻などでの災害ボランティアナースとしての活動を通じ感じたことなどをお話いただきました。

「看護師として自分に出来る事はあるのか?」そう思い、被災地に向かった鳴海さんですが、実際に現地に行ってみると、医療的なニーズよりも避難所や近隣のお宅を訪問し、健康や生活のことについて<話を聞く>ことが多くあったそうです。

いろいろな光景を目にし、<話を聞く>なかで、どうしたら日常を取り戻せるかを考える被災された方々と、時間を共有することで、いっしょに考えるお手伝いができるのではないかと思ったというお話が印象的でした。

鳴海さんのお話には ・時間を共有すること ・寄り添うこと ・話しを聞くこと

といった〈支援〉を考えるうえでのキーワードがありました。



後半は、参加者同士で〈支援〉についてあらためて考えました。

<どんな形の支援があるか>
・元の生活に戻るための手伝い(身代わりになることではない)
・物資を与えること
・経済を回す(普通に買い物ができるようになること)
・お金の支援
・労働力
・生活環境(住まいや仕事)
・精神的な支援
・娯楽(フェスティバルなどの開催)
・情報
・知識、ノウハウ
・ひとのつながり(人的ネットワーク)
・番組をつくる(関心を寄せ続ける)
・心の糧を与える支援
・役割を与えるという支援(観葉植物の水やり)
etc.

モノや環境、技術、情報などを与える支援。また、時間を共有したり、関心をもつということも支援の形ではないか、といった意見が出されました。

震災がおきてすぐ、「自分にできること」が何かを考えさせられ、仕事の「技能」として何か「できる」ことがない人、ボランティアに参加できない人は、無力感やプレッシャーを感じたように思います。でも、どんな人でも「関心をもちつづける」ということは、できるのではないでしょうか。



<では、支援を形作る条件、要素とは?>

・関心をもつこと。もっとも根本的な条件ではないか。
・関心をもつことは、支援以前のアクション。条件ではなく、前提ではないか。
・コミュニケーション。
・未来への展望やイメージを与えること。
etc.



<関心をもつという支援はどんなものか。あるいは、芸術やアートといったものは支援となりえるのか?>

・関心を持っているということの意思表示の手段が支援であり、その方法は様々あるはず。
・方法のひとつとして芸術やアートもあるのではないか。
・心の糧を与える支援として成り立つのでは。
・関心を持ち続ける(という支援行為)の成果は見えづらく、評価基準がないように感じる。
・物資の支援とは一方向なのに対し、関心をもつ(時間を共有する)という支援は双方向のもの。
・支援には速度(効果が現れるまでの時間)があるが、活動や学問によってその時間、スピードには違いがあるはず。
・支援とは即効性のあるものだけだろうか。
・支援とは目に見えるものだけだろうか。
・支援がなければ生きれなかったかもしれないし、生活を立て直すことはできない。しかし、支援される側には支援されることから生じる苦しさのようなものもある。
etc.



<支えるとはどういうことか?>

配布資料: (土屋貴志「『ささえる』とはどういうことか」、森岡正博編著『「ささえあい」の人間学―私たちすべてが「老人」+「障害者」+「末期患者」となる時代の社会原理の探求―』法蔵者、1994年)より

支えることの3つの原則→支援とはどういうことか

・身代わりになることではない
・相手の能力を信じること
・相手に関わっていこうとすること(関心をもつこと)



マインドマップ(作成者:小野寺健)

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◎「第3回 『〈支援〉とはなにか?』」カウンタートーク

カフェ終了後に行ったスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

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