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てつがくカフェ

てつがくカフェ第53回「『分ける』を考える」

■ 日時:2016 年 9 月 25 日(日)15:00-17:30
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ ファシリテーター:綿引周(てつがくカフェ@せんだい)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ

 

《今回の問いかけ》

 これまでのてつがくカフェでは、個人と共同体、当事者と非当事者、マイノリティとマジョリティ、被災者と非被災者、原発賛成派と反対派、中央と地方など、ある状況下での「対立」が立てられて、それをどう克服するかといったかたちの問いかけがしばしばありました。たとえば、被災者差別を無くすにはどうすべきか、誰もが当事者としての自覚を持つにはどうしたらよいかといった問題提起です。2013年7月には「『分断線』(著者:高橋源一郎)から〈震災以降〉を問う」というテーマを取り上げましたが、その回でもやはり「分断線を乗り越える方法」や「分断線を消す」方法という観点からの発言が多かったように思います。

 

こうした問いかたの基調には、人々を「分ける」こと、あるいは「分かれている」ことがよくないことだ、乗り越えられるべきものだ、という考えがあります。なるほど「差別」や「分断」について語るかぎり、それらは克服されるべきものかもしれません。しかし他方でわたしたちがどうしようもなく「分かれて」しまっているのも確かです。日本中あるいは世界中の誰もが震災の当事者としての自覚を持つことは現実的に難しいでしょう。また自分と他人との「違い」を無きものとすることにも、一種の暴力性があるように思えます。他人が自分と違う考えや価値基準、セクシュアリティを持っているという事実を無きものとすることは、他人を「異常なひと」「不合理なひと」として判断することにつながります。では、わたしたちの間にある違いや分断は、乗り越えられるべきものなのか、そうではないのか。

 

このような二者択一の問いかたをするのではなく、「てつがくカフェ」としてはここでもう一歩、「分ける」ことについて問いを深めることができるはずです。「分ける」ことは必ずしも「分断する」ことと同じではないでしょうし、「差別」も「区別」とは違います。ではこれらは互いにどう異なるのでしょうか。「分ける」ことを意味する言葉はここで挙げた以外にも様々あります。またそれに関連する言葉も様々あります(隔たりや差、違いなど)。今回のてつがくカフェではそれらがそもそも何を意味しているのか、互いにどう異なるかを問い直すことで、対立の根底にあるものを考え直していきたいと思います。

 

綿引周(てつがくカフェ@せんだい)

てつがくカフェ

◆ 問合せ:mmp0861@gmail.com(てつがくカフェ@せんだい 西村)
◆ 主催:てつがくカフェ@せんだい、せんだいメディアテーク
◆ 助成:一般財団法人 地域創造

 

《てつがくカフェとは》
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

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