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てつがくカフェ

てつがくカフェ第62回「放射能と暮らし」(要約筆記つき)

 

■ 日時:2017 年 8 月 6 日(日)15:00-17:30
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ ファシリテーター:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)
■ ファシリテーショングラフィック:三神真澄(てつがくカフェ@せんだい)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ

 

《今回の問いかけ》

 

私たちは、花の美しさと、セシウムが共存する世界で暮らしています。放射能はしばしば、線量計によって測定され、Sv(シーベルト)やbq(ベクレル)といった単位を用いて、数字によって表されます。また、被ばくの影響を、喫煙や交通事故のリスクと比べることで、放射能を理解しようとする試みもあります。

しかし、数値化やリスク比較だけでは捉えきれないことも、あるのではないでしょうか。
原発事故の影響を、色濃く受けた地域に住むある方は、自らが生けた花について、少しだけ語気を強めながら、こう語ってくれました。

 

—これはね、私が丹精を込めて生けた花なんですよ。でもね、あるとき、人にこんなことを言われたんです。
「この花には、セシウムは含まれているんですか?」
なんてこと言うの…そう思いました。悲しかった。あの人は、花ではなくて、セシウムを見ていたんですね。花は、心の叫びです。いや、叫びではないかもしれません。花は、私の心のささやきなのです。きっとあの人は、私のささやきなど聴こえなかったのでしょうね。
わたしたちの暮らしのなかに、放射能はとけ込んでいるのかもしれません。里山を歩けば、木洩れ陽が照らす緑道。流れる川面に新緑は映えて、水音が山中に響いている。薮のなかでは、雉が羽音をたてている。そんな里山の景色のなかに、放射能はとけ込んでいる。もしかしたら、あのあたりの放射線量は、少し高いのかもしれない…
暮らしのなかにひそんでいる放射能。震災前は、里山を歩いて山菜をとっていたのに…。春になれば、ふき、せり、たけのことかがとれて。とれたての山菜は、天ぷらにして。でも原発事故の後は、山菜採りには行っていない。あの山の放射線量は、ちょっと高いから。山菜にも、放射能が含まれているかもしれないから。山菜を口にすることを、ほんの少しだけかもしれませんが、躊躇する方々も、いるのかもしれません。—

 

暮らしのなかにある、数字や比較だけでは捉えきれないこと。私たちの暮らしに軸足を置きながら、借り物ではない私たち自身の言葉を丁寧に交わし、語られた言葉にじっくりと耳をすませながら、放射能と暮らしについて、改めて考えてみたいと思います。是非ご参加ください。

辻 明典(てつがくカフェ@せんだい)

 

◆ 問合せ:mmp0861@gmail.com(てつがくカフェ@せんだい 西村)
◆ 主催:てつがくカフェ@せんだい、せんだいメディアテーク
◆ 助成:一般財団法人 地域創造

 

《てつがくカフェとは》
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

てつがくカフェ第62回「放射能と暮らし」レポート



季節外れの長雨が続く日々ではありましたが、ご多用のなか大勢の方に参加頂けましたこと感謝申し上げます。
今回のテーマは、「放射能と暮らし」でした。大変難しいテーマではありましたが、まずは様々な角度から意見を交わしてみることから始まりました。
暮らしとは、人生と繋がるものではないか。普通の暮らし、日常とは、何なのか。五感で捉えられない放射能をどう捉えるのか。食と放射能の関係性について。安全性とは一体何か。まさに多様な視点にたって、対話が試みられました。
次は、語られた言葉のなかからキーワードをあげていく時間です。今回のテーマについて対話を進めていく上で、これだけは外せないと思われる言葉を選び出します。ここでは、以下のようなキーワードが上がりました。

キーワード
・ふつうの暮らし
・現実生活
・どうしようもなさ…想像力
・共存(人と人)
・信頼
・情緒的
・異質な他者

続いて、これらのキーワードを吟味していきます。それは、これまでの対話において語られてきた言葉の意味を、皆さんと共に、更に問い直していく時間です。
ファシリテーターは、「それは、どういった意味で使っているのでしょうか?」と問いかけて言葉の意味を確認したり、「今の方の〇〇の意味と、先ほどの方の△△の意味は、どのような関係にあるのですか?」と訊ねて、発言と発言の〈あいだ〉を繋げたりします。例え、同じ言葉が使われていたとしても、全く異なる意味で用いられている場合もあります。そうすると、言葉が噛み合ないままに時間が過ぎてしまいかねません。あるいは、その場の雰囲気で使っている場合もあるかもしれません。たくさん喋ることで「すっきり」した気分になるかもしれませんが、流されることなく、逸る気持ちを抑えて、言葉の意味するところをしっかりと捉まえなければ、対話の中身が空虚になってしまいます。
言葉の吟味とは、「少し立ち止まって、改めて考え直してみる」ということです。それは、対話の〈流れ〉を遮るというよりも、むしろ対話にとって必要なことのようにも思われます。語られ、聴かれた言葉を、改めて問い直し、その意味を抽象的な次元で、ゆるやかに共有する。そのために、言葉の一つ一つの意味を精査するのです。

例えば、この対話の場における〈ふつう〉とは「放射能を意識しなくていい」ことを、〈現実〉とは「放射能を意識せざるを得ない」ことを意味しています。また、「どうしようもなさ」には、一般的な「手に負えない」といった意味に加えて、五感では捉えきれないものへ想像力を向けようとする〈働き〉としての意味合いが含まれていました。いずれのキーワードも、あの時間、あの場所における対話のなかで、参加された方々が丁寧に言葉を吟味しながら対話を進めことで、普段の言葉遣いとは異なる意味をもって捉え直されたのです。
最後は、キーワードを踏まえて、〈問い〉を作っていく時間です。

問い
・なぜどうしようもなさを感じざるを得ないのか
・なぜ、どうしようもなさを感じるのか
・福島の人はみんながみんなどうしようもなさを感じているのか
・異質の他者とどう信頼を築くか

いずれの〈問い〉も、集った方々とともに、じりじりとするような時間を共有して練り上げられました。

改めまして、このたびの参加と、拙文を読んでいただけましたこと、感謝申し上げます。今後もじっくりと、みなさまと対話をする時間を設けられればと思います。

 

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