考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第4回「震災の〈当事者〉とは誰か?」(要約筆記つき) 

■ 日時:2011 年 10 月 23 日(日)16:00−18:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
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「震災の〈当事者〉」という切り口は、私たちにいくつもの困難な問いを投げかける。「いまここから逃げてしまったら、戻ってきたときになにも言えなくなってしまう……」。福島で高校教諭をしている友人が、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原発放射能漏れ事故から逃れてきた住民のために避難所を運営していた際に、同僚からこのような発言を聞いたと話してくれたことがあります。「あり得ない放射能の高さの中で、避難所を運営している職員の誰もが逃げなければならないにもかかわらず逃げない。なぜか。それは教員という自分の仕事への義務感からくるものなのか、あるいは不本意なかたちで避難を余儀なくされた住民たちへの〈同情〉に因るものなのか」。友人の問いかけに対するその同僚の方のこたえが、この冒頭に挙げた言葉です。「いまここから逃げてしまったら、戻ってきたときになにも言えなくなってしまう」。この発言は、〈当事者〉という言葉に対して私たちが抱く考えやイメージのうちに多くの困難な問題が隠されて在ることを感じさせます。そもそもわたしたちは、その場から逃げてしまうと、もはやそれについて何も語れなくなるのか。逃げることは裏切ることなのか。〈当事者〉でなければそれについて語る権利はないのか。実際に震災の被害にあったもの(被災者)でなければ震災の〈当事者〉と呼ぶことはできないのか。仮に〈被災者=当事者〉と捉えるにしても、実際に被災していないものが〈当事者〉の痛みを理解もしくは代弁することなどできるものなのかどうか。そう考えると、支援の際に必要なのは被災者(当事者)への〈同情〉か〈共感〉か、あるいは被災者(地)への〈想像力〉のどれなのか。

震災の〈当事者〉という切り口は、さらに次のような問いも生み出します。わたしたちは〈当事者〉による語りこそがまず重要であって、それこそが物事の真実を捉える際に絶対に不可欠なものであると最初から思い込んではいないか(物事の〈当事者〉主義?)。このように、震災の〈出来事〉という切り口は私たちに数えきれないほどの困難な問いを投げかけます。今回のてつがくカフェでは、参加者のみなさんとともに〈当事者〉という切り口から生じてくる様々な困難な問題点を列挙しながら、震災という出来事が孕んでいる問題の多様さを浮き彫りにすることができればと思っています。

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第4回てつがくカフェ「震災の〈当事者〉とは誰か?」レポート・カウンタートーク

2011年10月23(日)「考えるテーブル てつがくカフェ」の第4回目が開催されました。

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◎「第4回 『震災の〈当事者〉とは誰か?』」カウンタートーク

カフェ終了後に行ったスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。



 

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