考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第22回 「エネルギーという〈課題〉」

■ 日時:2013 年 6 月 9 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ: tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:財団法人 地域創造

 

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〈問題〉ではなく〈課題〉
現在、既存のエネルギーを最初から〈問題〉として見定め、バイオマスや地熱発電などといった新エネルギー(代替エネルギー)への移行を模索するべきであると主張する活動が頻繁に見受けられます。
しかしながら、そのように既存のエネルギーを最初から〈問題〉として大前提に受け容れる構えは、状況によっては、われわれが向き合わなければならないエネルギーという〈課題〉に対して真摯に向き合っているとは言い難い側面をあわせもっているとも言えます。
本来、私たちにとってエネルギーとは、第一に〈問題〉として問い質されるようなものではなく、むしろ私たちの生活を下支えし、可能にし、場合によっては今以上に豊かにしてくれる(もちろんその逆の事態を私たちは今回の震災で経験していますが)、いわば私たちの生活にとって必要不可欠なものに他なりません。それだからこそ、エネルギーとは〈問題〉である以前に、私たちの生活の在り方を考えていくうえで常に取り組んでいかなければならない〈課題〉として捉えられるべきものなのではないでしょうか。
この春、せんだいメディアテークの新館長に就任された哲学者の鷲田清一さんは、ご自身のいくつかの著作のなかで(いくつもの文脈で)、この〈問題〉と〈課題〉の違いの重要さについて触れておられます。

「〈問題〉は、起こらなければそれに越したことはない厄介なもの、面倒なもので、解決策を見出すことがなんとしても必要とされるもの。それに対して、〈課題〉はそれと取り組むことじたいに大きな意味のあるもの。解決とか正解とかがあるのではなく、それとどう向き合うか、それをどう引き受けるか、そのかたちが、(「問題」の場合の「解決」にあたる)「課題」への「取り組み」そのものなのである。」
(鷲田清一『老いの空白』弘文堂)

そういった意味からすれば、私たちはいま、原発の問題点の指摘やその対応策としての代替エネルギーといった具体的議論から少しばかり距離をとり、私たちにとって必要不可欠なこのエネルギーという〈課題〉についてあらためて考えを深める時期に来ていると言えます。
「そもそも、私たちとエネルギーとの良好な関係とはどのような関係なのか」、「エネルギーと人間の幸福(たとえば経済的に高い生活水準)との関係をどう考えるべきか」、「エネルギーを〈所有する〉とはそもそもどのような意味においてなのか」、「エネルギーによるリスクはどこまで許容されるのか」、そして、「最終的に自然と人間とのあるべき関係とはなにか」など、今回の「考えるテーブル てつがくカフェ」では、参加者の皆さんとともに、これらの困難な〈課題〉に真摯に向き合ってみたいと思います。みなさま、是非ご参加ください。
(てつがくカフェ@せんだい 西村高宏)

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第22回てつがくカフェ「エネルギーという〈課題〉」レポート

ファシリテーター:西村高宏さん

6月9日のてつがくカフェでは「エネルギーという〈課題〉」で対話を行いました。震災に伴って起こった福島の原発事故を契機に、私たちは「いま」エネルギーについて考えざるを得ない状況でしょう。しかしその時、単に原発賛成あるいは反対を叫ぶことだけがエネルギーと私たちを取り巻く問題なのか、もっと広い意味で私たちが抱える「課題」としてエネルギーを深く考えてみよう、というのが今回の趣旨だったように思います。
対話はまず、エネルギーに関してそれぞれが思うことを自由に話してもらいました。「人間が使える資源」「人間活動のベース」といったものから「体からあふれるもの」「自分を動かす“気”」といった精神的なものまで抽出されました。筆者は当初エネルギーとは電気などの資源という意味だけでエネルギーを捉えていて、それよりも「いま」エネルギーについて思うことが強調して発言されると想定していたのでこの展開は意外なものでした。そしてこの時点で、エネルギーに関して各々が抱いているイメージに大きな幅があることが感じられていきました。


ファシリテーターの西村先生

ファシリテーターの西村先生



では、このようにばらばらなエネルギーに対するイメージに、すべてを貫く定義はあるのだろうかとファシリテーターが投げかけました。各人が持つ定義がバラバラであっては、課題を話す以前に対話がすれ違ってしまうからです。恐らく、会場にいた参加者の何人かはファシリテーターの意図がなかなかつかめていなかったかもしれません。唸るように考え込む時間が流れたり、ファシリテーターの誘導を飛び越えて課題に関する発言がされる場面があったりしました。ファシリテーターは「ゆっくり」考えていくことを促しました。次第に「運動を生み出すもの」「力そのもの」「人間との関与において生まれるもの」といった定義が出てきました。エネルギーという身近なものを自分がそれまで考えてきた当たり前の定義から一歩外に出た、普遍的な定義でとらえる作業は予想以上に難しいと感じられました。
結局「存在するものが維持・増大させるもの」という定義を一応まとめ、やっと問いに移ることができました。しかし問いを考える、つまり課題について考える時間はほんの5分程度しか持てずに終了を迎えることになりました。会場には釈然としない空気も残っており、恐らく多くの方が気持ち悪いものを持って帰られたと想像できます。終了後に参加者同士で“延長戦”をしている方々も見受けられました。


全体の様子

全体の様子



前回のてつがくカフェと異なり、エネルギーという一種の“モノ”をテーマに据えた対話であったので、対話はスムーズに進んでいくものと思われましたが、筆者には今回のほうが難しかったという印象を受けました。そこには、私たちがいかに自明のもの・身近なものをやりすごしているかということが浮き彫りになってくるのではないでしょうか。そしてまた、原発事故以後のエネルギー問題における議論の平行線の原因には、もしかしたら話を急いているのかもしれないと感じられました。今回は「エネルギーという〈課題〉」というテーマでありながら、課題を話し合う一歩前の段階「そもそもこれはどんなものだ?」ということを言葉にしていく重要さを思い知った対話でした。

報告:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい

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板書のまとめ


黒板1枚目

黒板1枚目



 


黒板2枚目

黒板2枚目



 


黒板3枚目

黒板3枚目



 


黒板4枚目

黒板4枚目



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◎ カウンタートーク
カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/

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