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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第24回 「震災後の〈日常〉を問う」(要約筆記つき)

■ 日時:2013 年 8 月 4 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:財団法人 地域創造

 

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今回は、私たちの〈日常〉に焦点を当てながら、「震災」や「震災の後」について、考えていきたいと思います。

〈日常〉。波風にさらわれながらも、この町の雑踏のなかに埋もれ、足早に、せわしなく、しかしひそやかな音をたてながら、私たちの真横を通り過ぎていく、この〈日常〉。震災は、〈日常〉のなかに入り込み、とけ込み、私たちのまわりをじわりと取りかこむ。
いつしか、震災の後が、フクシマの後が、私たちの〈日常〉となる。止まった時間も、または止められた時間も、放射能の大海でたなびく大漁旗も、海水に浸った階段も、潮風が届く私の家も、いつの間にか、私にとって当たり前の〈日常〉となっていた。突然の、思わず目を覆いたくなるような出来事も、ふと気づけば、私たちの〈日常〉となりかけている。そんな気がいたします。

今回のてつがくカフェでは、私たちの〈日常〉について、対話を通して考えていきたいと思っています。対話のなかで語られた一つ一つの言葉をつなぎあわせ、重ねあわせ、些細な〈日常〉のなかから、微細な、しかしはっきりとした意味のつながりを見つけていきたいと思います。そして、言葉を探りながら、言葉をつなぎながら、意味の重心をゆっくりと落としていきたい。そのためにも、少しばかり腰を下ろし、息をととのえたい。
私は、私たちの〈日常〉のひそやかな声に耳をすましながら、哲学をはじめてみたい。そんなことを、考えています。

(てつがくカフェ@せんだい 辻明典)

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第24回てつがくカフェ「震災後の〈日常〉を問う」(要約筆記つき)レポート



密やかな声に耳をすませながら、この場で語られた言葉や、語られなかった表現の数々に目を配らせ、これらを丁寧につなぎあわせること。そしてこの場所に生まれた、まるで濁流のような清流に漂いながら、意味の重心をゆっくりと落としていくこと。これがファシリテーターをつとめた、私の役割でした。

 

そこで、特に大事にしたいと思ったのは、〈聴く〉という営みです。相手の意見を聞きながら、いつの間にか、ついつい別のことを考えてしまうことは、よくあることです。誰かの話を〈聴く〉ことは、易しいように思えて、なかなか難しい。

 

〈聴く〉ことを大切にする。それは同時に、ゆっくりと対話を進めることも、意味しています。対話では、こんなことがよく起こります。ああ、自分はこんなことを考えていたのかと、話しているうちに気づく。もしくは、話し終わってから、しばらくした後に、こんなことを自分は考えていたのかと、ふと気づく。話しながら、考える。対話のなかで生まれた言葉を、丁寧に拾い、これらを紡いでいくためには、じっくりと対話の渦に耳を澄ますことが、けっこう大切なのではないかと、よく考えます。

 

少々、前置きが長くなりました。

 

今回のテーマは、「震災後の〈日常〉を問う」。私たちの〈日常〉に目を配りながら、震災という出来事に言葉をあてがい、これを語り直すことを試みました。〈日常〉という言葉とつながりながら、対話のなかで現れようとする意味は、まさにさまざまです。



・なぜ私は、この被災地に残って、生き続けるのか?

・震災はこれからも繰り返されるのに、それでも何故、私はここに住み続けるのだろう?

・震災という傷から、出発する。

・よいものも、悪いものも含めて、〈日常〉ではなかったものが、いつの間にか〈日常〉のなかへ溶けていく。

・この対話の場は、私にとっての〈非日常〉。でもいつかこれが、日常になれば…

・   震災後の〈非日常〉を、もう少し引きずってみたい。



震災後の〈日常〉を問う。それは、思いを巡らせれば、日々の暮らしの内部へと深く入り込み、ときに自身と向き合うことと、どこか地続きの経験だったのかもしれません。自分のなかにある震災という経験と向き合いながら、ときには声を震わせながらも、これを受け止めることから、震災後の〈日常〉は、〈ともに〉問われていったのではないでしょうか。

沈黙。語られた言葉だけではありません。静かな沈黙も、あの場には生まれていたことも、ここで表記しておきたいと思います。沈黙が、幾度も、対話の場を覆いました。じっと、ゆっくりと、言葉を探るために、一人ひとりのなかで、自己内対話が、あそこでは起こっていたのかもしれません。沈黙も、表現のひとつの形であり、語るための助走でもあり、決して雄弁ではありませんが、そこには対話の萌芽が確かにあったのではないでしょうか。私は、あの時間を、振り返ってみるたびに、そんな気がしてなりません。

報告:辻明典(てつがくカフェ@せんだい)


板書のまとめ




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◎ カウンタートーク

カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。
http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/

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