考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第2回「震災を語ることへの〈負い目〉?」

■ 日時:2011 年 8 月 7 日(日)16:00−18:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい

 

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「震災について語ることに対して、〈負い目〉というか〈罪悪感〉を感じてしまう……」。
6月18日に行われた第1回「考えるテーブル てつがくカフェ」(テーマは「震災と文学」_「死者にことばをあてがう」ということ)では、参加者の方々からこのような発言が相次ぎました。
震災について語ることへのこの〈負い目〉の感覚は、もしかすると、今回の震災で実際に酷い被害にあわれた方々に比べて、被害の少なかった自分自身がそういった方々を差し置いて震災について云々することに対して抱く〈引け目〉の感情に由来するものなのかもしれません。あるいはそれは、被災地から遠く離れた地域に住む方々が、一方で、今回の震災で困難な生活を強いられている人たちがあるのを知りつつも、なにか直接的な支援もできずに、これまでどおりの普通の生活を享受し続けていることに対する〈後ろめたさ〉の感覚に因るものなのかもしれません。とはいえ、仙台で震災を経験し、震災の〈当事者〉とも言える私たちにおいてもなお、震災について語ることになにがしかの〈負い目〉を感じてしまうというこのような事態は、ある意味においてとても奇妙なことのようにも思えます。もしかすると、そのような被害の酷さ/軽さ、被災地からの近さ/遠さといった問題とは全く別のところに、わたしたちに震災について語ることへの〈負い目〉や〈後ろめたさ〉を感じさせる根っこのようなものが隠されて在るのかもしれません。そしてこの問いは、「そもそも震災の〈当事者〉とは誰なのか」といった一層困難な問いをさらに招き入れます。今回の「考えるテーブル てつがくカフェ」では、前回の議論を引き継ぐかたちで、震災について語る際に感じるこの〈負い目〉の根拠と、そこから導かれるさらなる問いかけについて参加者の皆さんとともに考えてみたいと思います。

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第2回てつがくカフェ「震災を語ることへの〈負い目〉?」レポート・カウンタートーク

・負い目を感じないことが悪いことのように感じられる、感じさせられる風潮がある。
・それは同調を促す見えない圧力、輪のようなものではないか。
・同調の輪に入るか否か。そこから発生する負い目。
・ある種の負い目があるから支援の輪が広がるとすれば、負い目は感じてはいけないものなのだろうか。
・負い目は共感である、と言い換えられないか。
・自分が経験したことを語る負い目とは、経験の言語化にあるのでは。
・言葉に変換することで別物に仕立て上げてしまうことへの負い目。 etc.



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◎「第2回 『震災と語ることへの〈負い目〉?』」カウンタートーク

カフェ終了後に行ったスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

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