考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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3.11定点観測写真アーカイブ

第6回公開サロン「みつづける、あの日からの風景」

■日時:2012 年 12 月 22 日(土)14:00−16:00
■会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■参加無料、申込不要、直接会場へ

■問合せ:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

tel 022-387-0656 fax 022-387-0651
e-mail npo@20thcas.or.jp
URL: http://www.20thcas.or.jp/
■主催:せんだいメディアテーク、NPO法人20世紀アーカイブ仙台

 

公開サロンでは、震災の記録写真を撮影した市民の方々をゲストに迎えます。震災後間もなく撮影された写真と、その後、震災から日が経つ中で撮影された写真を、撮影者ご本人に紹介して頂きます。これらの写真をもとに、震災体験を参加者のみなさんと話し合い、今後の定点観測にむけ、撮影の場所/時期/方法など、アイデアを一緒に考えます。

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今回の公開サロンで紹介する写真

▶仙台市青葉区
・朝8時半、仙台朝市に並ぶ人々
・つながりやすかった公衆電話に並ぶ人々
・ダイエー仙台に入店するため長蛇の列
・避難所や炊き出し情報が張り出された一番町四丁目の情報掲示板
・食料品が全くないコンビニエンス・ストア
・仙台駅東口バスターミナルでキャンセル待ちに並ぶ人々
・品不足の中、マルシェの再開に賑わうサンモール一番町
・ガソリン不足の中、街中は自転車で移動する人々が増加
▶仙台市宮城野区
・岩切小学校体育館。ストーブの灯油持参を呼びかける張り紙。
・東仙台中学校校門にひとり18リットルのみという給水制限を知らせる張り紙。
▶石巻市
・永願寺にできた認定避難所
▶登米市
・鱒渕の体育館でボランティアスタッフによる夜のミーティング
▶利府町
・ジャスコ利府店では牛乳や納豆などは品切れ

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みなさんの震災記録写真を募集しています。公開サロン当日、会場へ直接お持ちください。

ご自身で撮影した写真をDVDなどのメディアに記録し、各写真ごとに下記の掲載情報を添えておもちください。

1撮影者名(ハンドルネーム可)
2撮影場所
3撮影日時
・携帯電話画像可。
・仙台市、宮城県内市町村および東日本大震災で被害を受けた全地域。
・その写真についての特筆事項がありましたら、 お知らせください。
・写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で共同所有させていただきます。

※この募集は定点観測写真に限ったものではありません。

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3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは

このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。

これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。

宮城県新しい公共の場づくりのためのモデル事業

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第6回3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」レポート

3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」第6回目にあたる12月22日、今年度最終回となりました。今回は前半に、ゲストの方々が撮った市民目線での震災写真をご紹介し、後半は神戸の「人と防災未来センター」より高森順子さんをお迎えし、阪神淡路大震災の定点観測についてお話をしていただきました。さらに最後には、「自由」の仲野谷仁さんによるライブが行われました。

まず始めに、私たちの活動についてですが、元々は、市民の方々が撮られた昔の仙台の写真や8ミリを収集保存していました。震災後は、一般市民の方から震災写真を提供いただき、「市民が撮った震災の記録」を記録集として出版しています。この「市民が撮った」という所が私たちにとって重要なポイントで、大手出版社や新聞社、大学、国の機関などでは、それぞれが震災アーカイブとして活動しているが、そこでは手の届かない、市民レベルでの生活に密着した震災アーカイブに力を入れています。

今回ご紹介した写真は、震災の被害を伝える様子はあえて選びませんでした。マスメディアが撮る写真ではない、市民目線で撮られた写真、「震災の中での生活の様子」を伝える写真ばかりです。

まずは、震災当日の15:40、大きな余震が立て続けに起きていた最中の写真です。

カットを続ける美容師

道端で、美容師さんがお客様と談笑しながら髪を切っている写真。サイレンがあちこちで鳴り響く中、誰もが騒然としていた中での一枚です。中心部では物が崩壊する被害は少なかったものの、人はいつもの行動ではない、やはり普段とは違うことが起こったのだ、という人々の行動の違和感を感じ、シャッターを切ったそうです。

自転車が大活躍

これは、3月28日、ライフラインも少しずつ回復してきて生活が元に戻りつつある中、ふと気付くと街中が自転車であふれていた、という写真です。ガソリンが入手できず、自転車で動く人が増え、明らかに震災によって引き起こされている、人々の暮らし方がいつもと違うという状態が伝わります。

食品がまったくないコンビニエンスストア

仙台市内のコンビニでは、どこもこういった状況でした。365日24時間開いてて当たり前のコンビニが、閉まっていたり、商品が入荷したら決められた時間だけ開けたり。食料品も含め何でもすぐ買える生活に慣れていて、物を家に置かない方が多い中、備蓄の大切さを教えられた震災でした。

美容院の看板

これは東京や大阪では説明しないとわかってもらえなかった写真です。ライフラインが止まり、水がない、お湯が出ない、当然お風呂にも入れない。という人がほとんどだった。そんな中、徐々に水道が復旧していき、プロパンガスでお湯が湧かせるようになった美容院では、このようなシャンプーサービスをはじめ、貼り紙をあちこちで見かけました。

震災時、私たちはどう生活していたのか。報道では決して伝えられない、生活により密着した写真をご紹介しました。

次に、「人と防災未来センター」の高森順子さんをお迎えし、阪神淡路大震災の定点観測についてお話をしていただきました。

阪神淡路大震災は1995年に起き、デジカメや携帯電話の普及が今と違い、写真を撮るという行動そのものが今ほど日常的ではなかったため、報道的な写真がほとんどです。
阪神淡路大震災の復興というと、三宮の繁華街の様子が象徴的で、実際その周りに生活している住宅地、生活圏の写真はほとんど表に出ることはなかったのが現状です。
阪神淡路大震災の定点観測の写真が欲しい、という問い合わせを多くいただく中、神戸が復興している様子を、文章ではなく写真で明確に伝えたいから、というのはわかるが、私が写真を選ぶとき、パッと見て復興がわかるものと、もうひとつ今も復興していない変わらない場所の写真も一緒に渡すのですが、そういう写真はいらない。と言われる。定点観測というものは、変化を求められるんだな、と感じています。自分としては、復興したとは言っても、良い例だけではない部分もある。それも含めて、紹介していただきたい。ということは、言わせていただいているのですが。私は、定点観測は、これだけ変わったということを見せ、反対に、これだけ変わっていないんだというところを伝える必要もある。両方が必要なのだ、ということを感じています」とお話ししてくださいました。

ここで、ゲストの方からの意見で「仕事で海外の防災担当者を案内する機会がよくある。実際その場所にお連れしても、非常に被害が大きく瓦礫の山の前にいても、個人個人捉え方が違ってくるので、本当に発展途上国の方からとか来た方は「うちもこんな感じだけど」みたいなことを言ったりする方もいるので、やはり比べるためには定点観測写真というのは非常に必須だなと思っている。外国の方には文脈で伝わらない部分が多いが、それをどう対処していくか。例えば、定点観測の写真があって、それを見た色んな方が、周囲の情報だったり、自分の知ってることなどを、コメントとして付け加えられるようになると、より広く残せるのでは」という意見が出されました。

また、「景色が変わっていくところも大事だと思うが、もう少し突っ込んで、そこで暮らしてる人達の記録があってもいいと思う」という意見や、「非体験者にどう伝えていくのかということを考えたとき、以前、関東圏から来てた方が、被災地を見て、「何も、元々なかったのかなぁ」と話しているのを聞き、元の様子がわからないとそうと勘違いされてしまうと感じたことがあって、そのためにも、前後の写真の重要性を感じている」「可能であれば震災の前の写真もあると、変化の様子がよりわかるのではないかと感じる」という意見が出されました。
これに関しては、今までも何度か議論をしたところではありますが、この先大きな課題でしょう。
また、「すでに自分の中でも記憶が風化してきて、コンビニに物がなかったとか、行列したとか、今日の写真を見て思い出した部分が多かった。そう考えると、改めて、写真で残すことの重要性を感じた」というお話がありましたが、人の記憶というのは写真や話、ちょっとしたことで触発されて思い出すことが多いので、そういう意味でも、記録として残すことは重要だと思っています。

会場の様子1

新潟からいらした方は「こういう話し合いの場、皆さんのリアルな体験を聞けて、すごく訴えられるものがあったし、自分に置き換えて考えられるすごくいい機会になった。それがこの仙台のここだけで終わってしまうのはとても勿体無い。是非色んな所に発信して、皆が考えらる機会をもっともっと広めて貰いたい」と話してくださいました。それこそが、この考えるテーブルという所で、年代も経験も違う人達が、一つに集まって、同じ写真を見ながら、色々なことを考えるという機会であり、今後どう広げていくのか、伝えていくのかが課題です。

最後に、ゲストの仲野谷仁さんによるライブで、「命」「今だからこそ」「願い」の3曲を歌っていただき、終了となりました。

第6回 3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」今年度最後ではありましたが、今まで回を重ねる毎に貴重な意見が出されました。来年度につなぐ課題を改めて考えてみたいと思っています。市民レベルでの生活に密着した震災アーカイブに力を入れ、今後も継続して活動していきます。ご参加くださった皆さま、足を運んでくださった皆さまに感謝します。ありがとうございました。

会場の様子2

報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

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