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せんだいメディアテーク
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3.11定点観測写真アーカイブ

第9回公開サロン「みつづける、あの日からの風景」

■日時:2013 年 6 月 1 日(土) 15:00−17:00
■会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■参加無料、申込不要、直接会場へ

■問合せ:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

tel 022-387-0656 fax 022-387-0651
e-mail npo@20thcas.or.jp
URL: http://www.20thcas.or.jp/

■主催:せんだいメディアテーク、NPO法人20世紀アーカイブ仙台

 

公開サロンでは、震災の記録写真を撮影した市民の方々をゲストに迎えます。震災後間もなく撮影された写真と、その後、震災から日が経つ中で撮影された写真を、撮影者ご本人に紹介して頂きます。これらの写真をもとに、震災体験を参加者のみなさんと話し合い、今後の定点観測にむけ、撮影の場所/時期/方法など、アイデアを一緒に考えます。

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みなさんの震災記録写真を募集しています。公開サロン当日、会場へ直接お持ちください。

ご自身で撮影した写真をDVDなどのメディアに記録し、各写真ごとに下記の掲載情報を添えておもちください。

1撮影者名(ハンドルネーム可)
2撮影場所
3撮影日時
・携帯電話画像可。
・仙台市、宮城県内市町村および東日本大震災で被害を受けた全地域。
・その写真についての特筆事項がありましたら、 お知らせください。
・写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で共同所有させていただきます。

※この募集は定点観測写真に限ったものではありません。

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3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクトとは

このアーカイブ・プロジェクトは、東日本大震災で被災した宮城県内各市町の震災直後の様子、および震災から定期的に定点観測し復旧・復興の様子を後世に残し伝えるために、市民の手で記録していくものです。これから市民のみなさまから記録者を募っていくとともに、その情報交換・活動の場を公開サロンとして定期的に行っていきます。

 

これらの定点観測写真は、NPO法人20世紀アーカイブ仙台とせんだいメディアテーク「3がつ11にちをわすれないためにセンター」で記録・公開し、市民参加で震災を語り継ぐ記録としていきます。

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第9回3.11定点観測写真アーカイブ・プロジェクト 公開サロン「みつづける、あの日からの風景」レポート

第9回となった今回は、2名のゲストに加え、当NPOで活動を始めた部活動の部員のみなさんと、当NPOのインターン生にも参加してもらいました。

まずはおひとり目のゲストの方が、3月17日に撮った写真です。



当時の職場は山形県酒田市だったため、震災当日の午前中は仙台、午後は酒田にいて、地震があってまた仙台に戻ってきたそうです。奥様のご実家が津波で被災し、数日間はそこに通って泥かきや倒れた家具を直したりする中、食べるものはどんどん尽きていった。そんな時、通りすがりの道で撮った一枚。みんなが食料を求めている中で、お店をやっている人であっても、想像するに自分の家族が何よりも大事なはず。それでも、人のために仕事をするという段階に来ているというのが凄いなと思えた、と話してくれました。

私たちが普段よく行く24時間365日開いてあたりまえのコンビニが閉まっていて、普段は早く閉店するため足が遠ざかっていた個人商店がいち早く再開し、市民に食べ物を提供してくれた、という、震災の中での生活ぶりを知ることができる、貴重な1枚です。

 

次のゲストの方は、震災当時、多賀城市の市民活動サポートセンターのセンター長として、奮闘されました。当時利用者が20名ほどいた中、まず安全確認をし、避難所の方に移動。建物に大きな亀裂が入り避難所にはならなかったため、閉めようとしていたところ、標高が一番高いところなので、もの凄い勢いで多くの方が避難をしに来られたそうです。避難場所ではないのに、かなりの人が集中して車で逃げてくるという状況になったので、急遽、スタッフ全員が自発的にそのケアにあたることになったそうです。



これはまず黒煙が目に入ります。JX日興ホールディングスの仙台製油所で爆発炎上、1,000m以上の黒煙が上がり、15日まで延焼し続けました。そしてこの写真にはもうひとつ。正面の建物は水道局で、下の方に給水に並んでいる方たちの行列が写っています。市の給水車の台数も足りず、市内の花屋さんが浸漬タンクを積んだ車を提供してくれての給水作業で、5〜6時間待ちという状況だったそうです。これは、サポートセンターがどういう状況にあるのかというのを端的に記録するために撮った写真であって、かつ、この黒煙が上がっているという状況が象徴的な光景になっていたので、これは残しておかなければいけないと思い、シャッターを切ったそうです。

このお二人のお話を伺うと、写真を見ただけでは伝わらない、数々のストーリーがそこにはある、ということがおわかりいただけるかと思います。

 

「記憶を共有する」ということは重要で、写真や映像で被災の様子を見てもらうだけでは意味がない。では意味を持たせるものは何か、というと、実体験を伝えること。説明書きのない写真をただ見せるのではなく、撮った人が何を思ってその写真を撮ったのか、そして何を伝えようとして撮ったのか、それを記して初めて、写真にストーリーがつき、それを見る人たちが、なるほど、そういう意味なのか、と分かってもらえる。それが「記憶を共有する」ということだと、改めて感じました。

3.11を非被災地の方々にどう伝えるか、そして、「次々世代」つまり震災を体験していない人たちにどう伝えるのか、考えてきました。被災状況を数字上で「記録」するだけでは、伝わらないことが多い。「記憶」こそが、イメージとして伝わりやすく、他人事ではない「自分事」として考えられる役割を持つのではないか、と思っています。例えば炊き出しに並ぶ、買い物に並ぶ、ガソリンスタンドに並ぶ…私たちが当時当たり前のようにやってきたことですが、これが関東以西に行き話しをすると、伝わらず、そんなことがあったんだ、と言われる。これは、津波被害や倒れた建物被害しか見てないからだろうな、と感じます。そういった意味からも、「記憶」をどう残していくのかが、今後重要になるのではないでしょうか。

 

ここで「3月12日、震災の翌朝、何を食べましたか?」という質問を、会場のみなさん全員に聞いてみました。震災当日、本震の後も夜中中余震が続き、停電になって、翌日、太陽が昇って。そしてその朝、みなさんは何を食べましたか?

「ストーブがあったので暖を取りながら残り物を鍋にした」

「ほとんど備蓄がなく、カロリーメイト1箱しかなかった。これで何日間過ごさなければならないのか、と心配しながら、1本を半分だけ食べた」

「生後6カ月の子どもがいて授乳中だったため、ノンアルコールビールを箱で買っていた。買い置きのパンを食べ、朝からノンアルコールビールで乾杯した」

これは実は、食べ物の種類が重要ではなく、付随して出てきた話、その時の状況を思い出して語られた情報が重要だ、ということです。お話された方は、おそらくその時の様子、状況が思い出されたのではないでしょうか。その日常の暮らしの「記憶」こそが大切で、これこそが非被災地の方々にも「自分事」としてリアルに伝えることができるのでは、と考えています。



そして、記録ではなく「記憶」を伝える工夫のひとつとして「定点観測」に取り組んでいますが、その活用方法として、いま当NPOのインターン生が、非被災地の方を対象に、風化をさせないようにするため、「3.11ツアー」を考えています。







今、津波被災地を見ていると、瓦礫処理が終わり更地になっているところがあって、ここを知らない方が見るとあたかも新興住宅地に来ているかのように勘違いしてしまう。この写真のように同じ場所を震災直後、1年後、2年後、そしてこれからも5年後10年後と、写真を並べていくことで、震災からどう復興していったのかが良く分かるような、そういった様々な活用をツアーに取り込めていけたらと思っています。



報告:NPO法人20世紀アーカイブ仙台

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