考えるテーブル

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てつがくカフェ

第11回「映画『声の届き方』(制作:伊藤照手)から考える」(シネマ)

■ 日時:2012 年 5 月 20 日(日)15:00−17:30
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオb
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい

 

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映像をみて思ったことを、語り合ってみませんか
体験をことばにしながら、作品について考えてみませんか。

 

■ ドキュメンタリー映像『声の届き方』(制作:伊藤照手)

「脱原発」の声を挙げるにせよ「親原発」を唱えるにせよ、他者に対して自らの声(主張)を伝えるのには 相当な困難が伴うように思われます。
声を荒げれば荒げるほど自分の声(主張)が歪んだカタチで相手に伝わってしまうことも少なくありません。今回の「考えるテーブル てつがくカフェ」では、ドキュメンタリー映像『声の届き方』(制作:伊藤 照手 日本/2011年/40分)を観賞後、 声(主張)を〈伝えること〉の困難さやその〈届き方〉の危うさなどについて、参加者のみなさんとともにじっくりと考えてみたいと思います。
みなさま、ふるってご参加ください。以下、制作者である伊藤照手さんの作品に対するコメントです。

11月13日に行われた「“ さよなら原発1000万人アクション」In みやぎ”というイベントで、脱原発市民ウォークというものがありました。本作品はこの市民ウォークをもとに様々な人に行ったインタビュー を編集したものです。
昨年の原発事故がなければ、私がこうした市民活動に関わることもなかったと思いますが、原発問題に対してアクションを起こし、声を挙げていく人たちを取材していくうちに、彼らの思いに触れ、一緒に活動をしていこうと思うようになりました。
ただ、こうした活動をする人たちと、それを外から見ている人たちの間には、大きな壁があるように思 えます。11月13日のウォークでも、思いを伝えようと声を挙げ、街を歩いていても、それを見ていた人た ちのほとんどがこうしたウォークに対してほとんど無反応、無関心、もしくは敬遠しているように見えました。この伝わらなさはどうして生まれてしまうのか、街の人たちは原発問題やこうした活動をする人たち のことをどのように考えているのかを知りたいと思い、後日ウォークが行われたアーケードで街頭インタビューを行いました。その中で、仙台という土地で脱原発を訴えることの不自由さや、声の届け方、伝え方の難しさなど、いろいろなことを考えさせられました。
私がインタビューした人は限られていて、他にも様々な意見をもった人たちがいると思います。全ての 声を掬うことは出来ないですが、この作品を見てもらうことで、仙台でこのように考えている人たち、こんな活動をしている人たちがいるのだ、ということを少しでも知っていただければと思います。そして、これからのことを皆で考えていくきっかけになれば、と思います。(伊藤照手)

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第11回 シネマてつがくカフェ「映画『声の届き方』(制作:伊藤照手)から考える」レポート・カウンタートーク



第11回目てつがくカフェはシネマてつがくカフェ(第2回目)のスタイルをとった。鑑賞した作品は『声の届き方』(制作:伊藤照手)という、昨年 11月13日に仙台市定禅寺通りで行われた反原発デモ・ウォークに関する市民のインタヴュー記録映像(今年1月実施)で、そのあと従来の対話型のてつがくカフェに入った。

最初は『デモ』という現象を目の当たりにした率直な感想、意見が飛び交った。
実際にデモに参加したことがある方々、デモ文化が浸透しているヨーロッパで頻繁にデモやストライキを見たことがある方の豊富な体験談が会場の流れを一気に勢いづけた。デモに対してもちろん賛否両論あり、「デモ」 自体に性急さや衝動性を感じ戸惑う方々もいられたが、その中でたちあがったキーワードは、デモの「多様性」といった伝える側の表現の自由であり、 そこには音楽や踊りといった視聴覚にポジティブに訴えるものだけでなく、「沈黙」というメッセジーが強力な伝達手段になるという議論をより深く掘り下げる切り口もあった。

  

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議論に方向性が出てくると、今回のカフェの話題の流れは次の二点に収束し、そこでさまざまな意見が展開していったように思われる。
一点目は、自分の思いや主張を伝えるのに何故「デモ」といった方法、行動をとるのか?という問いであり二点目は、まさに「声が届く」という現象はどういった事態なのか?というコミュニケーションの根幹にかかわる遡及的な問いだ。
後者でのキーワードは受信する側の「受け取る自由」であり、発信者にはコントロールできない次元で、いわば無意識的なレベルでの「伝播」現象に近い「届き方」が問題に遡上してきたといっていいと思う。「心に触れる」という触覚次元での感受性といってもいかもしれない。

私たちは「声が届く」、「伝わる」といった現象は日常的なコミュニケーションではただの信号や記号のやりとりだと、当たり前のことのように思っているかもしれない。今回思ったのは、コミュニケーションが成功すること自体まさに奇跡的なことで、そこにはいつも誤信可能性に憑きまとわれている危うい空間があり、その認識なしに言語活動をするのはあらゆる対立の根になっているのではないか、と思った。
もちろん以心伝心のように相手を100パーセント分かり合えるのは無理で、人間は何らかのコミュニケーション手段を開発したわけだが、そこには必ず媒介するもの(音声、視覚、嗅覚など)があり、信号の対立項としての「沈黙」が語るのはそのためなのではないか、と思った。いや、「沈黙」は 「多弁」の対立項ではなく、そもそも「沈黙」がコミュニケーション成立の条件・前提になっているのかもしれない。
報告:加賀谷(てつがくカフェ@せんだい・いわて)

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板書のまとめ
黒板1枚目


黒板2枚目


黒板3・4枚目


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◎ 第11回 シネマてつがくカフェ「映画『声の届き方』(制作:伊藤照手)から考える」カウンタートーク



カフェ終了後に行ったスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。

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