第19回 「『絆』を考える − 絆は人を救うのか」
■ 日時:2013 年 2 月 17 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
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「絆」を考える
もうすぐ、東日本大震災から2年が経とうとしています。
2011年3月11日。それを機に生まれた言葉や出来事、それらは今、どのように私たちの中で生きているのでしょうか。
その中でも「絆」は震災直後の私たちの在り方を特に印象付けたものであったように思えるほど、多く用いられてきました。確かに、絆が間を取り持つものは、家族・友達・同僚・さらには共同体など様々なものに及ぶのかもしれません。それにしても、震災以降、つながりを表す言葉がいくつか存在する中で、なぜここまで「絆」という言葉が多く取り上げられてきたのでしょうか。筆者には、「絆」の語があまりにも多くの人々に広く使われた結果、社会的に様々な現象をもたらしたように思われてなりません。
「絆」という言葉がスローガンのように広がっていく中で、私たちはどのような意味で用いてきたのでしょうか。仮に家族や友達と絆を持っていたとして、それらが対立した際、いったいどちらの絆(そもそも絆と呼ぶべきなのか)を優先すべきかを決めなければいけない時があるでしょう。
もし、数ある中のどれかを優先できるとしたら、複数の絆はどうやって順位づけられているのか、或いは絆を結ぶ対象によって、それらは全く別の意味を帯びるのかという問題も出てきます。
そして、「絆のありがたみを知った」「絆って大事だと思った」という話は聞きますが、私たちは、絆の存在によってどのような恩恵を得ることができたのでしょうか。妥当であるかどうかは別として、各国からの資金・物資提供、震災発生時の周りとの助け合い、復興に向けたコミュニティの強化…などが例として挙がると思います。
さらには、絆の存在そのものを救いと感じる場合もあるのかもしれません。一つ極端な事例をあげると、あるSNSにおいて「手繋ぎ隊」というものが発生しました。その内容は、自分のハンドルネームに「⊂(・囚・)つ⊂(`囚´)つ」という顔文字を入れてつながりを表すというものでしたが、なんと4000人以上の規模になっていたそうです。これは、もしかすれば「繋がっている」という事実を自分で感じるためのものなのではないでしょうか。
こうした状況をふまえて、今回の「てつがくカフェ」では、絆とはなにか、それは、誰のためのものなのかといった問いを、改めて考えていきたいと思います。それは、問いの答えを求める通常の議論とは異なり、若干歯がゆいと感じられるのかもしれません。しかし、このような場の存在こそが、我々の辛抱強さを養い、考えをたくましくするきっかけになると考えています。
(てつがくカフェ@せんだい 川上拓也)
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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp
〔 市民団体、震災復興、<問い>をたてる 〕第19回てつがくカフェ「『絆』について考える―絆はひとを救うのか」レポート・カウンタートーク
今回のカフェは、「絆」という言葉を鍵に対話が行われました。このテーマを選び、当日ファシリテーターを担当した川上さんは、次のように問いを投げかけています:「絆」は震災直後の我々の在り方を特に印象付けたものであったように思えるほど、
多く用いられてきました。 確かに、絆が間を取り持つものは、家族・友達・同僚・
さらには共同体など様々なものに及ぶのかもしれません。 それにしても、震災以降、
つながりを表す言葉がいくつか存在する中で、なぜここまで「絆」という言葉が多
く取り上げられてきたのでしょうか。
一般に「絆」は、人間どうしの関係の一つのあり方を指すために用いられます。その「絆」が震災以降あきらかに、頻繁に耳にし、目にされるようになりました。なぜそうなったのか、あるいはそもそも「絆」とは何であるのか。対話の場ではまず、「絆」という語から考えること、印象・イメージを参加者の方々から出してもらうことをしました。
一番目に出たのは、「目に見えないつながり」が、「ある一線を越える」とき、そこで「つながり」が絆に変わるというものでした。このことを別のかたは、人間の「つながり」には「ランク」があって、その「ランク」の最上位ないし少なくとも上位のものが絆であるだろうということでした。“上位”というのは、「つながりの強さ」のことです。
しかし、その「つながり」が強いということにはいい面と悪い面がある、とは間違いなく言えます。悪い面が強調されたとき「つながり」は「しがらみ」と言い換えられ、しがらみは「束縛」や、助け合うことの「義務」化をもたらすという主旨の意見がいくつかありました。「つながり」に関するこの認識は、会場の他の人々にも共有されていたように思います。
ただそうした、なんだか鬱陶しいような、じめじめしたような「つながり」が「絆」であるのかと言えば、必ずしもそうではないようです。たとえば、お互いの生活を承認しあうことによって成り立った職場の人たちとの関係には「絆」が感じられると言ったかたがいました。また、絆で結びつけられた人々は「自発的」あるいは「主体的」にそうであるのであり、絆で結ばれた人間どうしは互いの「自由」を認めているだろうということも述べられていました。参加者の方々の抱く「絆」というモノ、「絆」と呼ばれるべき人間どうしの関係は肯定的に捉えられるものであると言えます。
とはいえもう一方で、震災以降聞かれるようになった「絆」という言葉には「胡散臭さ」がつきまとうという認識も多くの人が同意したところでした。ある人はその語がプリントされた「Tシャツ」を、ある人は「“絆”創膏(バンソウコウ)」を、またある人は(「絆」という漢字の語源としての)「家畜をつなぐ杭」を連想しながら、各々「絆」という言葉には「胡散臭さ」があるという意見に頷いていたと思います。
このように「絆」という言葉には、多様な、ときには矛盾するような印象が伴います。その「絆」に関してはある程度「問い」を絞って考えていくのがよいということで、「絆」という語から受ける印象について話す段階を終え、ファシリテーターの川上さんは、カフェの場にいる人たちで取り上げたい「問い」が何であるかを尋ねました。
しかし上で述べたような多様なイメージを伴い、明確な定義を拒む「絆」という言葉に対し、どのような切り口の問いを投げかけるべきなのかと尋ねられて、参加者の方々は一瞬戸惑ったように見えました。そこで筆者は、「絆」を漠然としたまま定義しようと試みるのではなく、“よい”ものとして受け取られるような、いわば「いい絆」と、“わるい”ものとして受け取られるような「わるい絆」とを区別して、「わるい絆」とは具体的にどういう人間関係のことなのか、あるいは「絆」とは呼ばれえないような人間どうしの「つながり」とは何であるのかということをまず明確にしてはどうかと提案しました。しかしまた別のスタッフから、「絆」が「わるい」意味であったらそれはすでに「絆」ではないのだから、「絆」の「胡散臭さ」はその言葉の「使い方」に問題にあるのではないかという指摘があり、胡散臭さを感じさせるような「絆」という言葉の「使い方」がどのようなものであるのか、とまず問うたらよいのではないかと発言してくれました。その後の対話の展開はおおよそ、この後者の方針で進みました。
イベント終了後のカウンタートークで整理できたことですが、じつは「絆」という言葉に対しては二つの視点があり、その二つの視点に対応するかたちで「絆」の「使い方」にも2種類あるということがわかりました。その二つの視点と、2種類の「使い方」をあらかじめ区別しておいたほうが、カフェでの対話の流れがすっきりとまとめられるのではないでしょうか。
「絆」という言葉に対する一つの視点は、いわゆる“被災地”、あるいは“当事者”の「中」からの視点であり、そしてもうひとつの視点は、それらの「外」からの視点です。
「中」から見たとき、「絆」はじつは、「この震災に立ち向かうため」に使われたのであり、一人では決して立ち向かうことのできなかった今回の震災のさい、その言葉は、当時必要とされていた人々の「まとまり」をもたらしてくれたのだという意見がありました。「絆」がもたらしてくれたものを積極的に評価しようというものです。
とはいえそれでもやはり、震災から時間が経つにつれ、あの「胡散臭さ」が「中」から見ても目立つようなったという意見はあります。それは何故なのかということについていくつかの意見がありました。その中でもとくに印象に残っているのは、「絆」というモノは、もともと「目に見えないつながり」であって、それが「絆」というコトバで「目に見える」ようにされ、「可視化」されることによって、「絆」というコトバ――絆そのものではなく――に対し違和感ないし「胡散臭さ」を感じるようになるのではないかという意見です。この意見を聞いてまた別の方が言っていたように、たとえばラーメン屋が自分の店の看板に、うちのラーメンは「おいしい」とデカデカと書いているのをみると、確かに「胡散臭さ」が感じられます。ある種の物事――とくに「目に見えない」物事――は、本来、口に出すべきではないのかもしれません。
また、「外」から見たときも「絆」という言葉は、「マスコミ」がよく用いることによって「胡散臭さ」が増すようでした。「自助公助」を促すための「スローガン」や、何かしらの「アイコン」として、政府やマスコミが用いたのではないかという意見もありました。政府が「アイコン」や「シンボル」として「利用」しているのが感じられ、「絆」は「ファシズム」や「全体主義」を予感させるような言葉になってしまったのかもしれません。しかし他方で、そうした用法から「胡散臭さ」だけではなく、「外へ訴えかける」力を読み取り、評価しようとする声もありました。「絆」という言葉があったからこそ、普段はまったく被災地との「つながり」が見えないひと・場所からの支援が促されたとか、ボランティア活動する人たちが自らの行動に理由を与えることができたとか、そうした積極的な側面もあったのではないかということです。
しかし何故、「絆」というこの言葉が「外へ訴えかける」力を持ち、その結果広く使われるようになったのでしょうか。ある参加者が指摘したように、「阪神淡路大震災」のときにはなぜこの言葉は現れなかったのでしょうか。個人的にはとても面白い問いだと思いました。先ほどの区別に従い「中」から見るとすると、今回の震災が(おそらく原発事故も含め)「一人では決して立ち向かうことができない」ほどの規模であったからこそ、「絆」という言葉が被災地域の人々の中で声に出される必要があったのだと考えられます。
他方、おそらく「外」からの視点と言っていいと思われますが、「絆」という言葉が「現代の時代」状況に合っていたからこそ、広く使われるようになったのではないかという意見がありました。「現代の時代状況」とは、インターネットが発達し、地域社会が解体され、人々の間の関係が疎遠になった社会状況のことです。こうした状況に対する「アンチテーゼ」の役割を果たしたからこそ、「絆」という言葉がいわば”流行った”のではないかという意見です。だから反対に「絆」という語は、もしかしたら5年後にはもう”流行らない”かもしれません。これには私も頷いてしまいました。では「絆」のもつどのようなニュアンスが、「現代の時代状況」に合致したのか、さらに詳しく考えたくなります。しかし残念ながら、今回はここまでで時間が来てしまいました。
私は今回のカフェをおおよそ以上のような展開として見ました。以下は個人的な感想ですが、今回のカフェは「言葉」の奥深さというか、私の「言葉」に対する認識の甘さを痛感させられ、それゆえ貴重な体験であったと言えます。まずそこには「絆」という言葉の表すモノ、つまり、その言葉が表す、特定の人間どうしの「つながり」があり、その一方で、単にその「つながり」を表すだけではなく、「絆」というコトバには「アイコン」や「シンボル」として、何かしらを促す機能が備わりうるのだということがわかりました。ですからもし今回の対話で私が提案したように、言葉の「定義」を明確化することができていたとしても、参加者の方たちが「絆」という言葉に対して抱いていた諸々の感情がどこから・何故生まれるのかは知りえなかったはずです。少なくとも私は、今回のカフェを通し、言葉の「定義」や「意味」とは別の、もっと豊かな側面について身をもって知ることができました。もし同じような体験を参加者の方々とも共有できていたなら幸いです。
報告:綿引周(てつがくカフェ@せんだい)
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板書のまとめ
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◎ 第19回「『絆』について考える―絆はひとを救うのか」カウンタートーク
カフェ終了後に行ったスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。
トピックス
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