考えるテーブル

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いま、貞山運河を考える

2012年 第5回「貞山運河の遊びと観光」

■ 日時:2012 年 12 月 19 日(水)18:00−20:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 1f オープンスクエア
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ

■ 問合せ:tel・fax 022-222-0250(上原)

■ 主催:せんだいメディアテーク/いま、貞山運河を考える会

 

被災地を貫く貞山運河(ていざんうんが)。

木曳堀、新堀、御船入堀、東名運河、北上運河からなる貞山運河は、

旧北上川河口から阿武隈川河口までを結ぶ日本一長い運河であり、
慶長2年(1557年)から明治17年(1884年)にかけてつくられた、
宮城県の誇る歴史遺産です。
かつてこれらの運河は、それぞれに異なる役割を持ち、藩米や木材などの輸送のために、また野蒜築港運用のために開削されたものでしたが、近年では、農業用排水路、ボートの係留地として、またサイクリングなどレジャーに活用される、地域住民のいこいの場でした。

これまで貞山運河に関わりのあった人、

震災後、初めてこの場所が気になりはじめた人、
それぞれの立場から、いま、貞山運河に思うことを話しあってみませんか。

2年目となる今年は、各回テーマごとに考えを深め、市民の声をまとめていきます。

※ここでいう貞山運河とは、北上運河、東名運河、御船入堀、新堀、木曳堀を指します。

※この企画は、ヒアリングした意見を集約し、自治体に提言する案をまとめるものではありません。
※イベント当日は、イベントのレポートとしてウェブサイトに公開するために、会場の様子を写真撮影します。

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2012年 第5回いま、貞山運河を考える「貞山運河の遊びと観光 」レポート



せんだいメディアテークでの「考えるテーブル『いま、貞山運河を考える』」の第5回が12月19日(水)に開催され、約30人の皆さんが「貞山運河の遊びと観光」というテーマで3グループに分かれて話し合いました。

******** はじめに *********

■「考えるテーブル」では、震災復興や地域社会・表現活動について考えていく場として主催者やゲストだけが話すのではなく、参加者の皆さんも対等に話せるような場を創ろうという趣旨で設けている。その中で、「いま、貞山運河を考える」は昨年震災後メディアテークが再開した時からやってきているもので、宮城県沿岸部にある貞山運河を貴重な歴史遺産として考えていきたい…と、この場を設けた。今年度は5回に分けてその都度テーマを設け皆さんと一緒にいろいろなアイディアを出していこうということで、これまで4回、「貞山運河を知る」「貞山運河の環境と自然」「貞山運河の活用と防災」「貞山運河と暮らし」と多くの意見をいただいてきた。今日第5回は今シリーズの最終回“スペシャル”ということで、いつもの7階の会場ではなく1階の大きな会場を使って多くの方に参加いただきながら「貞山運河の遊びと観光」というテーマで、参加者同士で和気あいあい会話できるような場づくりをしていきたい。対話の様子は音声録音のうえ文字起こしを行い、貞山運河についてのいろいろな意見をまとめ、情報発信していきたい。

******** 進め方のルール *********

■ グループ分け⇒ 多くの人の意見を集める。多くの意見を記録するが、記録の中では個人名は伏せる。
■ テーマに沿って話す。   ⇒ 今日は「貞山運河の遊びと観光」。
■ マイクを持った人が話す。 ⇒ ひとりの話を皆が聴く。
出された意見をまとめてメディアテークから発信する。
■ 話し足りないときは…。  ⇒ テーブルに直接書き込んだりメモやアンケートに記入したり…。
今日は特に、付箋に記入したものを壁面の大きな白地図に貼り付けてほしい。
■ 部数が足りない資料は…。 ⇒ “回覧”で…。
■ 今日の進め方 ⇒ 前回の話し合いの内容報告
話題提供
3つのテーブルに分かれての話し合い
各テーブルの内容発表
全体討議



******** 報告 *********

■ 宮城県土木部「貞山運河再生復興ビジョン」に関して
平成24年12月13日、この「考えるテーブル」について宮城県土木部河川課に行き、会の状況を話してきた。各市町村でそれぞれ作成されている復興計画を全体的にまとめようと、学識経験者などを中心とした「貞山運河再生復興ビジョン」という名の座談会を11月5日に開催したが、一般市民の意見も聴きたいという趣旨だった。
単なる“復旧”にとどまらず四百年の歴史をどうやって未来につなげるか…という形の再生を考えている。その「ビジョン」での話の内容は概ね下記のとおり…とのことだった。
・県からのトップダウンではなく様々な視点による復興事業を集約したものにしたい。
・“貞山運河”“景観”などがキーワード。変わる部分と変わらない部分がある。
・県民の憩いの場であり、将来も歴史遺産として残すべきだ。
・利活用と防災の両立が難しい中で、活性化する…という姿勢で考えていきたい。
・干潟など環境保全の視点も必要。
・再生計画の指針については津波に対する防災機能強化も考えたい。既存運河の拡幅もある。
・250年の歳月をかけて完成した素晴らしい産業遺産・歴史的景観。時間をかけて内外に発信すべき。ドイツのエムシャーパークで活用したIBA方式やバルセロナのサグラダ・ファミリア教会等を参考にして、運河の復興を国内だけで決めるのでなく、世界中にアイデア・デザイン等を求める方法を考えて欲しい。やり方によっては復興のシンボルとして世界から注目を浴び、人を集めることができる。…
貞山運河を軸にした全体のグランドデザインを考えて貞山運河を宮城県の復興のシンボルとして再構築し、安全で魅力的なものを造っていきたい。基本構成は、運河の成立過程と機能を踏まえ、震災に伴った状況変化を検討し、再生復興のコンセプト・基本方針を作り、具体的な方法と工程を示し、最終的には計画実現に向ける取組などを論ずる…という形になる。今後、沿線市町村・関係機関・NPOなどから広く意見を聞き取りまとめていく。2回目は2月4日開催予定。…そんな話を聞いてきた。なお、これは県のHPでも公表されているとのことだった。

******** 前回の報告 *********

■ 配布資料及び「考えるテーブル」ホームページ「いま、貞山運河を考える」第4回「貞山運河と暮らし」参照。11月28日(水)参加者約30人3グループでの話合い。
■ 話題提供者:西大立目祥子(青空編集室)
①昔の写真にも写し出された漁業や暮らしの生活感あふれる豊かな暮らしが震災で失われてしまった。戦前の子どものつづりかたにも貞山堀の舟運の情景が生き生きと表現されている。貞山運河のほとりでどんな暮らしがあったのか。水の流れがあることによって運河の両脇で人々の暮らしが生み出されていった。消えかかったり忘れかかったりしているものをもう一度掘り起こし記憶を語り継ぎ未来につなげていきたい。
■ ②荒浜で生まれ育ち暮らしてきた住民。自分自身も船を持って貞山堀に係留し家族連れでその船に乗って松島などに舟遊びにでかけたりした。先祖代々数百年続いてきた荒浜での暮らしを、現地で再生していきたい。
■ 各グループでの話合い:“運河”という無機的な構造物があるだけではなく、その沿線での住民たちの暮らしがあってはじめて、環境や歴史というものが形づくられていく。人が居てこそ他からお客さんも来てくれるし舟遊びや海水浴なども安心して楽しくやることができる…などという話が多く出された。

***** 話題提供者:黒田清志(みちのくやまづと研究所)[1] 「観光・集客・交流 」*********

■ 名所旧跡を巡る“観光”だけでなく他の産業も含めて、地域に来てもらう“集客・交流”という流れの中で貞山運河を考えたい。
■ そもそも何のためにそんな事業をやるかというと「地域が豊かで元気になる」ためである。そのために、「経済的な活性化」が必要。いろいろなことをやるための財源・経済力を持って現実的に暮らしが豊かで文化的になる。「文化」を「みんなで楽しむこと」と考えれば、「みんなで楽しく暮らす」、これを実現する方法のひとつとして「集客交流事業」がある。集客交流事業を進めるテーマとして「貞山運河」は大きな可能性がある。
■ 地域が経済的に豊かになる方法として、①外からお金をもらう②地元で作った物を外に売る③外から地元に来てもらう…などがある。①は国や県などからの金に頼ることなどだが、国の財政事情が不安定だしいつまでも頼っていては知恵も人も出てこない。②③が現実的で、ここで知恵を出し努力して頑張ることが必要。外に売るだけでなく地域の中の人に売ることも大事だが、それだけだと不拡大再生産になり伸びしろがない。やはり外に売ることが重要。
■ “観光”だけでなく、農林水産・教育・医療・文化の各分野との連携や、企業・研究機関などの誘致など、多くの人が外からやってくる工夫が必要。宿泊・観光業だけでなく、農業・工業の方も、多くの人に自分の街に来てもらって交流するという考え方が必要だ。住民も自分の町が豊かになるチャンスと捉えて積極的に歓迎すべきだ。
■「外に売る」というのはお土産品や名産品などが当たり前だが、農林水産物だけでなくゲームやキャラクターなどの「ソフトコンテンツ」もある。

■ 昔は「出稼ぎ」として外に出かけていって稼いでくることも多かったが、これからは「外から来てもらう」ことも考えたい。観光・買い物のほか、コンベンション・エンタテイメント・工業・テーマパーク・ミュージアム・復興支援ツアー・通勤通学通院冠婚葬祭…等々。
■ 集客交流事業は「平和産業」だ。争いのある所には人は行かない。平和で安全安心が確保されなければ客は来ない。また集客交流事業には、情報が集まる、環境負荷が少ない、地域コミュニケーションが深まる、地域内外とのネットワークを通じて提案してすぐ反応が返ってくる、関連産業が多い、あらゆる文化・産業との連携が可能…など多くの特色がある。逆に言えば、それら全てを実現してはじめて集客交流事業が成り立つということでもある。いわば「総力戦」で取り組む必要があるのだ。
■ 経済効果だけでなく、交流することによってもっと価値が上がることもある。集客に加えて、“交流”によって金だけでなく“情報”も持ってくる。交流事業の典型的なものに“学会”がある。集客交流事業で学術分野だけでなく、文化・芸術・環境・福祉などあらゆる分野のレベルアップが可能となる。
■ シンガポールやモントリオールなど世界中が地域活性化の方法として、コンベンションなど集客事業に取り組んでいる。バルセロナのサグラダファミリア教会のように200年かけて造っている建物に世界中から人が集まってきている。ドイツのエムシャーパークでは産業空洞化により荒れ果てた工業地帯に世界中の建築家からアイディアを募って造った建物そのものが人を引き付け街づくりのコアとなって地域を再生させた。中国には、「清明上河図」という北宋時代の絵巻物をもとにして川のほとりで繰り広げられる歴史的な暮らしを再現したテーマパークの例もある。札幌ではゴミの埋め立て地をモエレ沼公園とし、世界中から年間90万人を集めている。時間をかけて世界中のデザイナーの知恵を集めて公園施設を造っているという例である。
■ 貞山運河利活用の大前提として、そこに集まってくる人たちの安全確保は先ず第一である。しかし、長大な堤防を作って高い塀の中で遊ぶようでは面白くない。美しい海岸と運河の景色や水質も重要だ。
■ 集客交流事業には地域内外の人の合意・参加が必要。貞山運河は日本の海岸景観のモデルになり得るし、また、津波防災システムの最先端モデルとして世界中に発信できる。
■ 地域ごとに暮らし方も違い多様な利用形態がある。遊びでいえば、自転車・マラソンなどのスポーツや舟遊びなどのイベント、マーケットなど、歴史と景観を生かした世界レベルの活用計画を作って、国内外の人々との新しい交流の場・つながりの場として提案していきたい。

*** 話題提供者:髙橋悦子(冒険あそび場 せんだい・みやぎネットワーク)  [2]  「“遊び”について 」 ****

■ “遊び”は子どもたちにとっての“生きる力”そのもの。仙台海岸公園・冒険広場プレイパークの運営方針として、①リスク管理・ハザードの除去、②自分の責任で自由に遊ぶ姿勢、③過剰な管理を行わない、④利用者ニーズを基本として利用者参加による公園運営を行い公園サポータを募る…などの考えでやってきた。松林に囲まれ西側には田園地帯が広がり、震災前から、近くの水路で魚を捕まえたり田圃の探検をしたり学校の授業の中でも取り組んでいた。公園内では一部を残して草刈りし虫や花が生息するようにしたり、自由に穴を掘ったり、刃物を使っていろいろな物を作ったりしていた。
■ 海岸公園冒険広場の被災状況はパンフレット「ぼうひろ」にも記述されているが、ほとんど津波に飲み込まれ、冒険広場の丘の一部に取り残されたスタッフ2名住民3名猫1匹犬1匹がヘリで救助された。
管理棟の壁に設置してあった時計は15:53で止まったままになっていた。その後貞山堀では何か月も捜索が続き、冒険広場近くには多くの瓦礫が高く積まれ、3ケ所のがれき焼却炉が設置された。
■ 2011年5月から六郷小学校の校庭を借りて遊び場を再開、夏休みの8月からは七郷遊び場も始めた。田植え遊びなど、子どもたちだけでなく大人も一緒に遊べる場づくりに努めた。被災後、生活は一変し一番時間のあるのは子どもと高齢者。その世代をどう繋いでいくのか。生かされた私達には子どもたちの声に耳を傾けていく役割があることを認識して遊び場づくりに関わっている。



******** A・B・C各テーブルでの話合い 及び 全体討議 *********

(まず3つのグループに分かれて話合い、その後各グループからの報告がなされ全体での討議が行われたが、この記録の中では、スペースの関係上、話題にのぼったテーマごとに集約・編集して記載した)

≪全体的方法論≫

● その地域特有の“必然性”は無視できない。必然性を無視してやっていくというのは、大きなエネルギーが必要だ。そうでないと永続性をもって続けていくのは難しい。例えば長喜城の居久根もそれが必要となるような生活環境を作らない限り、生活から切り離して単独で観光資源とすることは非常に難しい。それが必要となるような必然性がある施策でなければ、どんなすばらしい計画を立てて金を投資しても継続することは無理だ。
● 関係地区の住民自身がその施設に対して誇りを持たない限り、いくら市が予算をつけて有名人や知識人などがどんな立派なことを言って施策を考えても、絶対にうまく進まないし何も実現できない。重要なのは、地区の住民たちが誇りを持って子どもたちに伝えていくことだ。
● それぞれの地域の特性を考えてやっていかないと永続性のあるものにはならない。海水浴にしても産業との絡みにしても、全体一律ではなく、運河それぞれの生い立ち・特性に基いて観光も考えていくべきだ。
● 貞山運河の長い沿線の中での「地域それぞれの特性」を考えるとき、その地域の人たちが自分たちの地域をいかに認識しているか…ということが重要だ。外の人間がいかに動いても、肝心の地元の人達がそのことに関心を持たない限りそれが重きをなして市全体・全国・世界に発信することはあり得ない。貞山運河のそれぞれの区間の地域の人たちがいかに運河に対して意識を持っているか、それに産業がどう絡んでいたのか地域の生活がどう関わったのか…ということが明確に認識されていかない限り観光というものが発展することはなかなか難しい。
● 仙台市などでは以前と同じ形ではそこに住めない可能性が高い。そうなると、かつて住んでいた人たちは新らしい所で今までとは違う形での関わりを持っていかなければならない。集客なり産業なり暮らしの中でこれからの沿岸部の暮らしをどう作っていくか大きな問題だ。
● 東六郷の住民はじめいろいろな団体で意見を取りまとめて出している。
● ひとつひとつのアイディアはいいとしても、全体をきれいにしなければ見てもらえない。
● 中途半端になってはせっかくの考えもダメになってしまう。“観光”にしても、しっかりとした見通しがあって「将来は緑の公園でこういう姿になっていく」というものを作らなければならない。
● せっかく造った公園も活用されなければ経費ばかりかかって大変だ。冒険広場のように、「どうやって運営していくか?」というマネジメントの視点も重要だ。美しいデザインをしてくれる人、それを活用する人、それぞれのタイアップが必要だ。
●「貞山運河魅力再発見協議会」は現在休止中だが、県の“ビジョン”が動き出せば、協議会には各市町村も入っているのでまた再始動するはず。
● せっかくこういう形で集まっているので、運動を続けながら行政にも働きかけていきたい。
●「歩きながら考えよう」と言いたい。それは「実際現地を歩きながら」というのではなく、「少しずつ行動しながら、時々立ち止まってその中で考えよう」という意味だ。「一挙に7.2mの防潮堤を造るのは考え物だ」ということも含めて。



≪専門家≫

● 残念ながら貞山運河そのものはあまり有名でない。「建築家自体も道具だ」との言葉にもあるように、むしろ世界中から有名な建築家によるプランをいただいて、それを利用して事業を進めることもいいのではないか。ただ造っただけでは人は寄ってこない。“復興”で客が来るのはせいぜい数年だけだ。
● スペイン・バルセロナのサグラダファミリア教会のように、これから百年かけて楽しく面白い水辺空間を創っていこう。そのために、世界中からアイディアを募集することも考えてはどうか?「国からの補助金をもらって県がやりました」という事業も悪いことではないが、その金があるのなら審査基準を作って世界中の建築家や土木家・デザイナーなどからアイディアを募集する。むしろ外国人にデザインしてもらったほうがはるかに面白いかもしれない。もちろん「歴史的なものは壊さない」「昔の物も大事にする」「日本風の形にする」とかの前提はある。そうすれば世界中の人が注目する素晴らしいものになるのではないか。「どうしましょう?」と世界に投げかけるほうが広がりを持って面白いものを生み出すのではないか。
● 計画づくりを専門家に頼むという話が出たが、できれば被災地も含めた地元の人間が、被災地をどうやって再生させたらいいかということを皆の知恵を集めて作りあげる形がいいと思う。
●「専門家が主導する」のではなく、「専門家に知恵を出してもらう」という形だ。
● ただ“再生”だけを行ったのでは人は来てくれない。有名な人たちが関わることによって知ってもらい県外からも人が来る。もちろん「任せてしまう」ということではない。専門家に我を通されては困るので、地元の人達の意見をきちんと聞いてもらうことは必要だ。お互いの話がかみ合うような専門家がいい。

≪恐怖と安全≫

●「また津波が来る」なんて言われたのではどうしようもない。
● 以前は貞山堀沿いのサイクリングロードをよく自転車で走ったが、震災後は怖いし走れるような状態でないので止めてしまった。怖くて沿岸部には行けない。
● 沿岸部に遊びに行くことに対してまだ恐怖感がある。だからと言って「安全のため」と堤防で囲めばいいというものでもない。両立させるのはなかなか難しい。専門家の考えを聞いてみたい。
● 東京からの友人を荒浜などの現地に案内することもあるが、津波の危険性を考えると被災地を気軽に“観光”するというのには抵抗がある。気持ちを切り替えるのにはしばらく時間がかかりそうだ。
● 安全と観光は両立がなかなか難しい。今も海に近寄れない人がいる中で、県も復興計画を作っていない。地域ごとの計画にも踏み込んでいない。県・市それぞれの立場はあろうが“案”はできるだけ出したほうがいい。
● 観光は当然“安全産業”でなければならない。美しくない所には人は来ない。それを担保したうえで集客交流がある。
● 県の考えでは、県道塩釜亘理線を横断する道路は下をくぐるのではなく全て上を乗り越えていくような形とし災害危険区域とされた区域を完全に遮断してしまうようだ。こうなると、県道より海側は実質的に“危険区域”として「危ないからダメ」という形でシャットアウトされ、観光も何も出てこなくなってしまう。これからいろいろな意見が出ればその考え方の見直しもあるかもしれないが。
● 荒浜についても、「ここから先は住むところではない」…という形だ。
● 海側には現在誰も住んでいないのだから、県道嵩上げを急ぐ必要はない。“貞山堀観光”についてもいろいろアイディアを出せるはずなのに、行政ではその場所をそんな扱いをしている。
●「県道嵩上げ6m」というと東道路と同じようなものになり、景観など台無しになってしまう
●「それが地区を遮断してしまうとしても今は道路が主力。後のことは別…」という形になっている。
●「人が死なないように…」というだけ。
● 高い防潮堤を造ると異様な光景が出現しそれによって貞山運河の価値が損なわれてしまうことにもなりかねない。自然の動植物もつながりを無くしてしまって死滅してしまう。“コンクリートの壁”ではなく“植林”を進めたほうがいい。
● 高い堤防で囲まれた貞山運河なんて刑務所の塀のようだ。それはないだろう。
● 貞山運河の価値を高めるためには「自然環境をどうするか」が重要。それを壊したらせっかくのものが台無しになってしまう。
● “復興”というのは、ただ防波堤だけ作るような“防災”だけでなく、人がそこで遊んだりできないと意味はない。
● 仙台と浜松は地形が似ている。16mの津波が来るといっても堤防がない。浜岡原発を抱えており危機感は強い。
● 田老町・石巻大川小・南三陸町など世界遺産に登録できないか?
● 世界遺産も集客の大きなシンボルになり得るので、“災害遺産”のような形での可能性はあるかも。ただ、どこまでどう残すか、いろいろ議論はあるだろう。
● 5~10分程度で歩いて避難できるように“安心”が確保されれば、皆が行くことができるようになる。
● 津波が来ても大丈夫なように、冒険広場のように高く盛土した「道の駅」なども。



≪防潮運河≫

● 運河そのものを“防潮運河”として、津波を防ぐ目的で造ることも考えてほしい。

≪経済≫

● “観光”によって地元に金が落ちるような仕掛けにしないとダメ。
● 周辺の町に金は落ちても地元にはなかなか落ちない。地元に金を落とすために、10円でも1円でもいい「通行料」みたいなものがあってもいいのでは?

≪海水浴場≫

● 荒浜は市長から“廃町宣言”されているが、深沼海水浴場の復活を願う。
● 荒浜は子どものころからの遊び場だった。海の中の状況は分からないが、海の中への通路整備などで海水浴場復活をお願いしたい。

≪子どもたちと大人たち≫

● 子どもを預かる施設を設けて小さな子どもたちを連れたお母さん方に来てもらって、地元の農産物で料理を作ったり染物や手芸をしたり、年寄なども交流できる場をあちこちに作る。地元の年配の人達ものんびり参加しながら、東京など街の人が好む“野草”を生産販売する。
● 子どもを預けながらゆっくり安心してしょっちゅう行きたくなるような場所を。
● いま4年生5年生くらいの子どもたちの10年後20年後の姿をイメージすると、次の時代の担い手となる子どもたちがいるということはとても大事なことだ。自分たちが生まれ育った所がとても不安な恐ろしい場所であるという思いを緩和させるには何をしたらいいのか?いま生かされている生き残った大人たちが子どもたちに伝えていくべき事があるはず。だだの「怖くないよ」ではなく、「どう生きてきたのか」を伝えることが必要ではないか。そういう役割が高齢者にもあるはずだ。子どもを育てる責任は親にあるとは言っても、沿岸部で被災したお父さんお母さんたちは、いまものすごく忙しくて姿が見えない。そこで、それよりもさらに高齢の親、おじいさんおばあさんの世代がそれを担わなければならない。“生活”や“生き方”といったものを子どもたちに伝えていくべき役割があることを皆で認識し合って伝えていきたい。
● 震災前から、いい大人も含めて子どもたちは既に流出してきていた。流出しているのに“将来の担い手”というのは夢が大きすぎないか
● 集団移転するにしても記憶が飛んでしまいそうになっている昔のことも拾い集めて“記録”として残して繋げていきたい。生きている以上は未来を開いていく力が徐々に出てきている
● 2009年2月に、貞山堀の将来像について東六郷小学校の皆さんが若林文化センターでの発表会で非常に立派な意見を出していた。例えば、昔の道具や防風林の模型などの展示場、図書館、天文台、望遠鏡、遊園地、釣堀、水族館、ホテル、温泉、売店、ウォータースライダー、浄化センター…。これらは子どもたちが発表したものそのものだが、よく考えたものだと思う。ただ、当時は震災前であり、今ではちょっと…というものもあるが。



≪交流≫

● “水”に詳しい先生などの話も聴けるような多目的スペースを作る。
● レストラン、コーヒーショップなどの施設を作る。
● 被災した東六郷小学校の校舎を「青少年センター」として活用して寝泊まりできるようにする。近くに冒険広場や観察するところもある。いろんな知恵が出てくるはずだ。
● 農家や漁業者だけという昔の姿に戻してしまうのも有りかもしれない。「もともとは静かなところだった」という形もある意味では観光の目玉になり得る。
● 仮設住宅でも、町内会デビューできていない男たちが大勢いる。働きに出ていて忙しいというだけでなく、家にいても集会所に来ない人も多い。そういう人たちを引っ張り出さないと、次の世代に伝えるというのも難しい。
● 荒浜地区の住民たちも自分で考えて、深沼海岸に外から大型バスで“被災地観光”に来た人たちに対して「自分たちのふるさと荒浜はこんないいところだった」「こらからもこんなふうに荒浜を再生させたい」と、自分たちの考え・希望を話しかけてきた。お客さんたちも結構耳を傾けてくれて、住民も自分で話しながら大きな手応えを感じ始めている。こういったことが今日のテーマである“観光・交流”につながっていくのかもしれない。
● “観光”と言えば、今は被災地の状態を見に来る人が多いが、被災者としてはそれだけでは辛いところもある。むしろ、“被災地復興観光”ということを我々の“売り”にしたい。時々刻々変わっていく、その状況、復興しているまさにその現状を、逐一見続けて何回もリピートしてもらう。見続けていってほしい…ということも住民同士で話し合っているところだ。
●「楽しい場所には人が集まる」と言ったが、楽しいというのは「そこに行ってよかった」と思えることも必要だ。復興計画の中で安全安心の担保が必要なのはもちろんだが、そのうえで、蒲生から井戸浜にかけての海岸公園をどう生かすのかが課題だ。そこに入っていって体験したり体感したり…という場所に作り変えていくことが必要だ。
● 貞山堀沿いのサイクリングロードを走ったりしていたが、貞山堀の水がどこから入ってどこに抜けていくのか、運河の水がどんなふうに行ったり来たりしているのか…ということも私は全然わからない。「自然再生」という考えに共感でき、貞山堀そのものも後世に残すように存続させるよう環境整備をお願いしたい。サイクリングロードを運河全線数十キロにわたって開設したら、全国のサイクリストが集まってくるのではないか?
● 自然環境が復活することによっていろいろなものが出てくる。テーマパークやサイクリングロードに人が集まり宿泊できどんどん広がっていく。冒険広場などもあれば、子どもたちから大人まで広く楽しめる。
●トライアスロンや自転車などのスポーツイベントは人も集まり注目度も高い。注目されるとバスなども運行され避難のシステムも整備されていく。
● ボートやヨットなどの舟遊びに関わる何かの“世界大会”など貞山運河を利用した世界の競技大会を開催したらどうか?
● 以前、深沼海岸でやっていた砂の彫刻“サンドフェスティバル”の大きいやつもいい。札幌の雪まつりのように。
● 荒浜住民は自分たちで荒浜再生の将来像を描いている。荒浜地区に盛土で小高い住宅地を造ってそこに住みながら畑で野菜を作ったり、貞山堀のほとりには船着き場や漁業用納屋を設け、ウッドデッキのある堀サイドテラスカフェにお客さんを迎えたり…という姿だ。古代中国の絵巻物「清明上河図」にも通ずるイメージだ。



≪運河博物館≫

● 運河の歴史ではヨーロッパや中国などもあるが、江戸の運河も生活の中で貢献してきた。そこも含めての「運河博物館」というものも造れるのではないか。
● 運河に関する研究者も巻き込みながら資料を集めていくことも必要だ。
● すでにある「貞山運河事典」というホームページも充実している。ウェブ上の博物館のようなものだ。

≪水族館・生物館≫

● ダイビングで水中写真を撮っているが、仙台湾独特の生物相もあるだろうから、仙台港あたりに計画されている水族館などのように立派な器でなくていいから、子どもたちが地元の生物に簡単に触れることができるようなものがあるといい。
● 貞山運河に棲んでいる生物・動物・植物などもいい。

≪松籟・潮騒≫

●「松籟を聴く」ような松林の環境も再生させたい。
● 仙台駅近くのX橋付近にむかし下宿していた島崎藤村が「荒浜の潮騒の音が聴こえてきた」と若菜集に書いている。そのことを観光にも役立てたらいいのではないか。

≪舟遊び≫

● 東京の隅田川などのように水上バスを運行して関所・茶屋などを設けたら、観光に役立つのではないか。九州の柳川・山形の最上川・丸森の阿武隈川など船での遊覧の例も多い。
● 動力を持たない手漕ぎの木造の小さな船“和船”を貞山堀に浮かべたら? 和船を作る技術者・船大工も少なくなっている現在だが、それで観光客を運んだり農作物や漁獲物を運んでもいい。

≪ループルバス≫

● 荒井から井戸浜・荒浜・蒲生・仙台港などを通る沿岸まわりのループルバスを運行すればかなり利用されるだろう。冒険広場に行くためにもバスの便は必要だ。

≪復活のきざし≫

● 震災前から行っていた「生き物調査」を震災後も続けているが、多くの生き物が戻ってきている。それが自然の力だ。自然が壊されたら人工的に造るしかない。人工的に造るのであれば、しっかりと受け止めたうえでやりましょう。作った後の課題も含めて“育ち合う”場所がないと本当の復興計画にはならない。
● 施設から造るのではなく、まず自然や環境を回復させることが必要。

≪環境≫

● 荒浜がもともと漁業地・農業地だということを忘れてはならない。田んぼは石ひとつ入っただけで鋤鍬が壊れ農機具が壊れる。“観光”もいいが、車の油が浮いたら農作物や漁業に影響が出ることを考えなければならない。また、トイレ・屎尿をどうするか?ということも重要だ。“環境”と言いながらトイレ対策は一つもない。仮設トイレは持ってきても数が足りない。下水道にしてもそのルートが回復していない。屎尿・ゴミ・油の問題が解決されなければ観光も成り立たない。
● トイレについては、荒浜小学校や海岸公園清掃など大勢の人が集まる催しの際は主催者の住民が自分たちで仮設トイレを用意したりしていたが、その後市と話し合って、現在は深沼海岸に3基の仮設トイレを設置している。少しづつは進んでいる。

≪記録≫

● 若林区で活動する支援団体で作ったいい資料がある。
● 壁に貼った大きな白地図に皆さんの考えを書き込んでほしい。
●「どこでどんな被害があったのか」などということについて貞山堀の災害の記録も重要ではないか。
例えば井戸浦で堤防工事の作業中だった人たちの証言もあるし、何台もの重機が倒れ込んでいるgoogleの写真は何ヶ月も掲載されていた。
復興ビジョンや思い出を紙に書いて貼る

参加者の意見が集まった貞山運河地図
*写真をクリックすると大きくなります

≪松林・植林≫

● 現在の海岸防潮堤の工事の急速な進み具合を見ると、悠長なことは言っていられないと感じる。せっかく実生の松の芽が出てきてそれを利用したらいい松林ができるのに、工事でそれがみな無くされている。 本当に寂しいことだ。
● 行政は既存の松については全く利用しないと考えているようだ。
●「実生の松」との話もあるが、これから植えていく松の木はこれまでとは違う「松枯れ病に耐性のある樹種」にしていくはず。自然に生えるものはともかく、資金を投じて植林するのはそういったものにしていくだろう。
● 貞山運河沿線のほとんどが松林で、それが運河の魅力にもなっているのに、それを回復せずに何をやろうとしているのか?
● 植林するにしても、それが工事のための重機の邪魔になってしまう。
● 県は最終形を考えて工事なども行っているはずだ。土木部分ができあがるまで何年もかかるだろうが、植林するにしてもそれまでは一般の人間に手は出させないだろう。
● 県は「仕上がりはこうなる」という形は描いている。
● 今は基礎地盤づくりの段階だから植林はその後になる。
● 県のほうが将来像を示さないからいま不安になっているところもある。将来像が示されれば納得できるところもあろう。
● 四百年先を見据えながらまた松の木を植えていこうという活動の中で松の木再生ボランティアとして資金も集まっているが、木を植える場所がない。松の木は1年2年で大きくなるわけではなく何百年もかかる。少しずつ植えていかないといい防風林にはならないのに、現在の工事計画から見るとそれが全然進んでいない。
● いや、35年も経てば立派な松の木に育つ。
● 今日のような議論を続けて、10年くらいは“集客交流”として全国から来てもらって、毎年区域を決めながら全員で松を植えていく…というのもいいのではないか?
● 松林もいいが、桜など新たな樹種も考えたい。全国に声をかけて他県の人達も含めた触れ合いの中で植林し再生していけたらいい。
● 貞山堀沿いは桜の並木にしてほしい。計画的には松の木は一気には植えられないので、“集客”として春先に花見とともに来てもらってボランティアで松の木を植えていってもらうのはどうか?集客をしてまず貞山運河の状況を見てもらい、知識として皆に広めていくことも必要ではないか。
● 全国から来た人たちの地域名称例えば佐賀であれば“鍋島桜”などの名前をつけるのもいい。ともかく木を植える。来た人は好きな場所を選んで、植えたら命名権はその人たちに…という形もいい。できれば各県単位か町単位ぐらいで来てもらいたい。
● 景観計画には「百年後にはこんな姿になる」というようなものを示す必要があろう。
● 松林があっての貞山堀だから、最低限「松林」を確保したうえで、あとは好きなように…というのもある。
● 自然再生のきっかけを人間がやる…という形か。
● 仙台湾の黒松は浜松から来た松が始まりだ。四百年前、政宗が和田印旛守に「遠州の松を買え」と命じて植えたという歴史がある。

≪居久根(いぐね)≫

● 居久根は基本的にはその家の資産とされる。立派な居久根はいい点もあったが雪解けが遅いなどの弊害もあった。「居久根が無くなってはじめてその意味がわかった」と言っていた持ち主もいた。そのうえで、屋敷林とは何か居久根とは何か…と真剣に考え始めている。しかし、そこに木が有っても自分だけでは管理しきれない。ではどうしよう?ということで、専門家の力も借りながら市民やNPOなどとも力を合わせ、「居久根を育て合う環境づくり」を提案したい。
● 区役所も一時は居久根を活用した事業も考えていたようだが、津波で被災したこともあってかなり伐採されてしまった。残念だ。

≪眺め・景観≫

● 冒険広場の丘からの景観はすばらしい。泉ヶ岳から蔵王・岩沼・金華山の島影…この景色は他では見られない。ただ、せっかくの360度展望台なので、できれば主だった山などの説明板もあるとありがたい。
● 私も娘2人と冒険広場をよく利用した。小山からの景色・眺めが素晴らしかった。海を見たり平野の向こうに山を見たりできる展望スポットは、子どもだけでなく大人にとってもありがたかった。
● より展望を広げ“見える”ようにするために、気球やヘリコプター・軽飛行機なども利用したらどうか?
● 造りようによっては最高の別荘地になる。海は近いし景色はいいし、ここに住みたくなる気持ちもわかる。
● 確かにいいところだ。

******** 終わりに 上原啓五代表 挨拶*********

■ この「考えるテーブルが次にどこに行くのか…ということだが、考えるテーブルそのものが地域のことを考え話し合う場であるとの趣旨から言って、意見を集約して直接行政に働きかけるということはないものの、何らかの影響力は持てると思う。県の「ビジョン」なども、そこに暮らしている住民や市民の意見を求めていることは確かだ。大きい夢とともに小さい行動も両方必要だ。
今日出た意見も含めて要約したものをメディアテークHPなどを通じて公表していきたい。
去年の2回に続けて今年は5回「考えるテーブル」で話し合ってきたし、それ以前にもいろいろな団体で貞山運河について研究や(したり)活動をしてきた。予算が全く無いので“出版”という訳にはいかないが、ひとつの区切りとしてこれまでの記録をとりまとめ、これからの貞山運河に関わる地域づくりに役立てていきたい。
■ 震災で被災して貞山運河もどうなることかと思ったが、去年以来7回も話し合いを続ける中でいろいろな意見が出てきた。この様子は県にも伝わり、最初、県はただ被害を修復する程度にしか考えていなかったものが、土木遺産としてどう活用するかも考えるようになった。この集まりの意味も少しはあったのではないか。来年はどうなるかまだわからないところもあるが、いろいろな団体の方々も活動しておられるので、より実行力のある会にしていけたらと思う。

 

報告:いま、貞山運河を考える会

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