考えるテーブル

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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第26回 「愛について」

■ 日時:2013 年 11 月 10 日(日)15:00−17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 6f ギャラリー4200
■ ファシリテーター:西村高宏(てつがくカフェ@せんだい)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp (西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:財団法人 地域創造

 

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愛について……

第26回「考えるテーブル てつがくカフェ」のテーマは、「愛」です。

今回の「てつがくカフェ」では、あえて、それを問題にする切り口やキーワードを事前に準備しません。その場にあつまった参加者の方々の顔ぶれで、同じテーマであってもその問いかけの切り口が激しく異なっていく、「てつがくカフェ」が本来備えている〈ライブ感〉を楽しんでいただけたらと思います。「てつがくカフェ」としても、今回のカフェは新しい挑戦です。

震災を経験した〈今〉、そして被災地という〈この場所〉で、わたしたちは「愛」という手垢のついたことばをどのような観点から問い直すのでしょうか、興味津々です。ぜひご参加ください。

 

今回の企画は、「対話の可能性」第三部「LOVERS 永遠の恋人たち」との連携企画です。

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LOVERS 永遠の恋人たち

DO NOT CROSS THE LINE OR JUMP OVER

 

情報化による全自動的な資本主義社会のなかで、制度により規制された私たち現代人の身体と愛の在り方を静謐に表した映像作品です。作者の古橋悌二は、京都を拠点として1984年に結成されたアーティスト集団「ダムタイプ」の中心メンバーとして活躍し、1995年にHIV感染のため他界しました。

《LOVERS》は1994年に発表された後、幾度かの改訂を経ていますが、本作は、2001年の当館開館記念展に際してダムタイプの高谷史郎氏が再現制作したもので、当館の寄託作品となっています。現在、ニューヨーク近代美術館(MOMA)に収蔵されているもの以外では唯一展示可能な状態として残る作品です。なお、仙台で12年ぶりの公開となる今回は、2001年の際には省略された部分も再現し、オリジナルに近い仕様で公開します。

 

日程:2013 年 11 月 7 日(木)− 1 月 12 日(土)*11月28日は休館
時間:10:00〜19:00(12月中は20:00まで)
会場:6階ギャラリー4200
料金:一般・大学生100円、高校生以下無料(豊齢手帳、障がい者手帳をお持ちの方は半額)

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てつがくカフェとは
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。

てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第26回 てつがくカフェ「愛について」レポート



11月10日に行われた第26回てつがくカフェのテーマは「愛について」でした。今年度初めて、震災とは結びつけないテーマとしました。今回は6階に場所を移し、また現在同じ階で展示されている「LOVERS 永遠の恋人たち」と関連させて対話を始めました。展示に使用されている規則的な電子音をBGMにしつつ、広々とした空間の中で、その間を確認していくかのように、しっかりと対話が続いていきました。普段の会話で多くは口にされないのに、歌詞やキャッチコピーではやたら登場する「愛」。どんな言葉が交わされたのでしょうか。

まず前半において、いま社会には愛がないのではないかという意見から口火が切られ、愛の反対は無関心というマザーテレサの言葉が出てきたり、自己愛、家族愛、無償の愛など様々な種類の愛が登場したりしました。また、人間は愛することはできるけれど、動物にはそれができるのか、機械に対しては愛着は湧くけれど愛する対象にはならないのではないかという、愛する主体と対象について議論がいくつか生じました。各人が、愛を言いかえる言葉や、自己愛があることによって自分が大事にできるのではないかといった愛によってできることなどを表現する中、私たちは愛という言葉に期待しすぎているのではないかという、懐疑的な意見も出てきました。さらに、ルールを守るということも自分への愛ではないかというユニークな表現も出てきました。

積み残しを気にしながらも、次にキーワードを抽出する作業に入りました。これは前半に出てきた一見ばらばらな言葉を整理しつつ、次のステップである問いを立てる作業につなげるものです。そこで出てきたのは「損得感情」「無償の愛」「恋愛感情」といった愛そのものに関する言葉、「受ける者/発する者」「人間/動物/機械」「神、仏の愛」といった主体や対象に関する言葉、そのほか「関係性」「関心」「ルール」「余裕」「エロス/アガペー」という愛を解きほぐすのに必要そうな言葉が挙げられました。



そしていよいよ問いを考える作業に進んでいきましたが、普段ならうんうん唸るこの時間が、他の回と比べてテンポよく言葉が出てきたように感じました。それは愛があまりにも身近なものだからなのか、それとも愛があまりにも疑問の多いものだからなのでしょうか。「愛はよいものなのか」という一般的にポジティブイメージのある「愛」に疑問を投げかける問いが注目を集めながらも、多数決により残り時間で問うていく問いは「愛は自分のため/他人のため?」というものになりました(もちろん多数決で問いを一つに決めたのはファシリテーターにとって苦渋の決断でした)。

「愛は自分のため/他人のため?」これを問うにはまず「愛」という言葉の定義を明らかにしなければなりません。そもそも愛ってなんだろう―関係性の中にあるもの?当事者意識によるもの?与えられた人が認めるもの?行為にならないとわからないもの?時間内に定義をまとめることはできませんでしたが、恐らく「愛」の定義は丸1日かけても近付けるのか不明なほど、巨大で掴めないでしょう。では、こんなに話したのに、もともと抽象度の高い「愛」というものを言い当てる言葉を探す行為には、果たして意味はあるのでしょうか?

私たちは「ある」と答えなければなりません。私たちの多くは哲学者ではないけれど、しかし言葉を使って考え続けることで何かが変わるかもしれません。他人の言葉とぶつかり、混ざることで、どんどん思考の泉が掘られていきます。ふとした瞬間の驚きで、世界の見方も変わるかもしれません。それがたとえ、お風呂の水を1秒早く止める程度の変化でも、自分が発達していく以外に他の何も変わっていくことはないのだと私は思います。そういう小さな変化のきっかけの場として今後もてつがくカフェが利用されていけば幸いです。





参考資料リンク(2010年12月26日開催 てつがくカフェ「バリアとはなにか」レポート)
http://prj.smt.jp/~gobantubecafe/?cat=80

報告:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)

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◎ カウンタートーク

カフェ終了後に行っていたスタッフによる延長戦トークです。以下より視聴できます。
http://recorder311.smt.jp/series/tetsugaku/

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