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せんだいメディアテーク
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てつがくカフェ

第41回 「“災害ユートピア”? 」

■ 日時:2015年 1 月 18 日(日)15:00-17:00
■ 会場:せんだいメディアテーク 7f スタジオa
■ ファシリテーター:房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)
■ 参加無料、申込不要、直接会場へ
■ 問合せ:tanishi@hss.tbgu.ac.jp(西村)
■ 主催:せんだいメディアテーク、てつがくカフェ@せんだい
■ 助成:一般財団法人 地域創造
《今回の問いかけ》

震災から4年近く経とうとしている今、私たちは「あの時」を名付けることができるようになったでしょうか。
今回は、震災直後の他者との関係性を思い出しながら対話を行います。たとえば、レベッカ・ソルニットは著書『災害ユートピア: なぜそのとき特別な共同体が立ち上がるのか』(亜紀書房、2010年)の中で「地震、爆撃、大嵐などの直後には緊迫した状況の中で誰もが利他的になり、自身や身内のみならず隣人や見も知らぬ人々に対してさえ、まず思いやりを示す。」と書いています。
共感する方もいれば、憤りに近い反感を覚える方もいらっしゃると思います。ある人は、震災直後に避難所だけでなく街の至るところで、他人と家族のように助け合ったり、気を遣い合ったりしたかもしれません。一方で、助け合いがうまくいかなかったり、声をあげられずに孤立したり、あるいは危険な目に遭ったりした方の話も耳にします。
また、「災害ユートピア」と指摘される状況があったとすれば、今はどうでしょうか。確かに、あの時を契機に新しいコミュニティのあり方が続いている場所もあるかと思います。ただ、映像作品〈3.11東日本大震災後の仙台市内の扉の景色〉*からもその変化がわかるように、日が経つにつれ私たちは再びばらばらになっていった感覚もあります。
この対話では“災害ユートピア”という語の解釈や賛否についての討論をしません。この語が震災時の地域の状況を指す言葉のひとつとして使われた事実を参考にしつつ、今いちど震災直後の他者との距離感を、私たちの言葉で少しずつ語り直します。今もまだ適切な言葉を見つけられないかもしれませんが、それ自体を含めて問いかけていきます。

 

房内まどか(てつがくカフェ@せんだい)

 

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*映像作品〈3.11東日本大震災後の仙台市内の扉の景色〉
東日本大震災の直後、ライフラインの復旧しない仙台市内の街なかには独自のサービスを提供する商店の手書きの貼り紙や情報が満ちていました。震災直後の仙台市内の扉の景色を撮影し、スライドショーにまとめた作品です。

撮影:高橋哲男(Jai)/8分36秒/2011年/

この作品は「3がつ11にちをわすれないためにセンター HP」よりご覧頂けます。

http://recorder311.smt.jp/movie/7695/

当日は、会場に集まったみなさんで一緒にこの映像作品を見ます。

《てつがくカフェとは》
てつがくカフェは、わたしたちが通常当たり前だと思っている事柄からいったん身を引き離し、そもそもそれって何なのかといった問いを投げかけ、ゆっくりお茶を飲みながら、「哲学的な対話」をとおして自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験していただこうとするものです。
てつがくカフェ@せんだい http://tetsugaku.masa-mune.jp

第41回てつがくカフェ「“災害ユートピア”?」レポート

写真1

冒頭、ファシリテーターからまず、3月11日の震災直後から3ヶ月間、仙台市内に掲示された張り紙等を撮影した写真のスライドショー『3.11東日本大震災後の仙台市内の扉の景色』の紹介があった。それらは街の雰囲気とその変遷を語っているように感じられた。

その後、今回の企画の目的は、震災直後の他者との距離感について自分たちの言葉で語り直すことを試みるためのものであり、「災害ユートピア」という言葉の解釈や賛否については扱わない、というアナウンスがあった。

写真2

ところで「災害ユートピア」という言葉は、レベッカ・ソルニットが書いた『A Paradise Built in Hell』の邦題に由来する。この著作は、日本では『災害ユートピア』として2010年12月に出版され、2011年3月11日の東日本大震災の後に改めて話題を呼んだ。

当日会場からも指摘があったように、直訳すれば「地獄の中の楽園」という原題と、邦題の「災害ユートピア」とでは、そのニュアンスに随分な開きがあると感じる。

写真3 写真4

さて会場からは、震災直後、近県の商店でも被災者支援サービスの張り紙があったこと、ある宗教施設では信者が、宗派の違いを問わず「被災者」に対して祈りを捧げていたことなどが話された。中には、当時の自身を振り返って、「『人の優しさ』を食べて心のエネルギーにさせてもらった」と話した方もいた。

また、震災に対する「備え」があるので余裕が生まれ、人々の助け合いが生まれたのではないかという意見がある一方、そのような余裕がないが故に周囲との協力が生まれるのではないかという意見もあった。

はたまた、〈ユートピア〉の反対語として〈ディストピア〉という言葉を挙げ、〈ユートピア〉で実現される「調和」は〈ディストピア〉における「管理」と表裏一体なのではないかという指摘があった。そしてそこから、「〈ユートピア〉というものは、一体誰にとっての〈ユートピア〉なのか」「ある人間にとっての〈ユートピア〉が、他の人間にとっての〈ディストピア〉であるということもある」などといった意見も挙がった。

ほかにも、ある被災地を訪れた経験から、「ある〈ユートピア〉も、外からは異様に見えるのではないか」といった意見があった。

写真5

以上のような対話を受けていくつか問いが設定されたが、中でも「〈ユートピア〉は外からわかるのか」という問いについて、終盤、答えを探す試みが行われた。

解答としては、「〈ユートピア〉は時間や過程を共有することで生み出されるのであるから、そこに居合わせなかった者には認識や理解をすることができない」といったものがあった。 また、〈ユートピア〉とはそもそも風刺としてのみ共有・理解可能なものではないか、という意見もあった。

写真6

報告:さくら

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